郭公の四畳半ふうの四方山掲示板


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    ねぎ味噌 投稿日: 2021年05月30日 18:35 No.28 【返信

    「ご飯の友」とはよく言ったものですね。
     いつだったか、コンビニでねぎ味噌のおにぎりを食べて、自宅でも何度か作っています。

     次は唐辛子味噌に挑戦してみるかな。


    いちじくジャム 投稿日: 2020年08月18日 09:09 No.27 【返信

     昨年の夏、農家のガレージでいちじくが売られていて、ずいぶん珍しく思い買って食べてみた。
     小さい頃、郷里には、柿、夏みかん、梅、ビワ、いちじく、ザクロ、金柑などが植えられていて食べたことがあるけれど、いちじくを食べたのはおそらくそれ以来のことである。

     いちじくでもジャムが作れるようで、いちじく自体の甘さがあるから、砂糖は30%でよさそう。僕は通常、他のジャムは砂糖40%(グラニュー糖3:きび砂糖1の割合)で作っている。
     で、30%(砂糖の割合は同じく3:1)で作ってみた。
     うまっ!、第一感である。

     何回か作り、郷里を含め知り合い数人にも配り、等しく「うまっ!」と感想をいただいた。

     で、今年もその季節になり、先日第一回目を作り、やはり、「めっちゃ美味しい!」と感想をいただいたところである。
     あと何回か作ることになりそうだ。


    近況 投稿日: 2020年04月27日 18:29 No.26 【返信

    結局のところ私は泡盛に行き着いてしまったかもしれません。
    芋、麦、米、黒糖、泡盛、どれもよく飲んだけれど。
    泡盛はタイ米(インディカ米?)を使ってる。人吉の米焼酎は国産米だからジャポニカになりましょうか。
    タイ米と国産米との違いは、たぶん甘さにある。タイ米のほうが甘くない。
    芋焼酎も、麹は米麹だけど、中にはタイ米を使ってるのもある。例えば、村尾酒造の「薩摩茶屋」。「村尾」そのものが今ではなかなかてにはいりませんが、「薩摩茶屋」はこちらでも見かけます。で、うまいと思う。芋焼酎は、甘く感じるけど、麹にタイ米を使ってるのはその甘さが比較的軽減されてるように思います。
    味は好みなので人それぞれですけどね。


    古酒 投稿日: 2020年02月12日 22:33 No.25 【返信

    焼酎党になって20年にはなったろうか。
    ホットウイスキーがCMで流れた頃からだ。

    その頃は正直美味しいとも思わなかった。ひと月に一升瓶が2本。
    そのうち、酔い醒めがすっきりしていることに気がつく。二日酔いをしない。
    以来、芋、米、麦、黒糖、泡盛なんでも飲んだ。
    あいにく、今の住処の近くに焼酎の銘柄が豊富な酒屋がないから、6本まとめてネットで注文している。6本をひと月で飲む。
    最近は、泡盛。
    ネットで一升瓶を6本まとめて沖縄の酒屋に注文する。航空便で送料1000円で送ってくれる。
    で、44度くらいの度数で、古酒造りにも向いてる銘柄もある。
    いちまん焼きの一升用のカメを買って移し替えるだけ。(^o^)
    いま、2本仕込んだ。
    孫が成人したときに飲めと。
    もっともその頃、僕は彼岸に行ってるかもしれないけど。

    息子にもやろう。僕用にも作ろう。これは5年でも10年でもいい。

    ただし、問題がある。
    蓋からなのか、カメの肌からなのか蒸発するらしい。
    ウイスキーでいうと天使の分け前みたいな。
    だから、時期をみて減った分を新酒でいいから注ぎ足してやらないといけない。仕次ぎというらしい。
    みんなが言う、きっとその時味見だとか言って結局飲んでしまうんじゃない?って。


    こんにちは! 山の肥後人 投稿日: 2019年11月16日 13:02 No.23 【返信

    きょうは気になっていることを書きます。
    ひとつ 
    「平原1号墓は14メートル×12メートルの四隅が丸い長方形」
    これでは「径百余歩」とは規模も形状も一致しておらず、矛盾してます。
    一度訪れましたが、あまりの小ささに驚きました。

    ふたつ 
    距離の「1万2千里」の説明がなされていません。
    「女王国は伊都国から南千五百里のところにある」としながら、
    その先の説明が不十分で、場所がわかりません。

    みっつ
    「梯儁一行は、倭の女王卑弥呼の居館へは行っている。」の書き込みですが、
    伊都国にあったであろう鴻臚館のような迎賓館で執り行われたと、
    理解するのが妥当と思えませんか?
    とにかく魏の使いたちは伊都国に「往來常所駐」と書かれてます。

    先月たまたま、鴻臚館を訪ねてきました。


    紅葉狩りは、くじゅう辺りへ行ってきました。
    なかなか綺麗な風景に巡り会えました。
    投稿日: 2020年01月07日 11:43 No.24
    山の肥後人さん、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    返信が遅れてすみません。

    1.私が平原1号墓を卑弥呼の墓だと考える理由。

    まず耳[王當](イアリングですね)が出土したことから被葬者は女性である。
    副葬品から王墓と言っていい。
    年代にはまだ議論があるとは思いますが、柳田康雄は、赤色瑪瑙管玉は韓国でも出土していて3、4世紀と考えられている。
    などのことから、平原1号墓は、女王墓であり、年代は卑弥呼没年と符合する。
    加えて、銅鏡百枚に含まれていると考えられる尚方鏡としての方格規矩四神鏡が豊富に副葬されていた。

    もちろん、卑弥呼と同時代の伊都国王もまた女王だったと考えることもできます。

    2.万二千余里の解釈について。

    魏略逸文では伊都国までの行程は書かれている。郡(帯方郡)より女王国に至る万二千余里。伊都国は、郡使が常駐するところです。
    ご指摘のように、女王国(卑弥呼の都とする所の意)まではあと1500里ですよね。

    ではそれをどう考えるの?ってことにはなりますが、翻って、万二千余里はどのような経緯で求められたかを考えることも必要かもしれません。
    江畑武の論考もありますが、それも当否についてはわからない。
    果たして、積算して求められた(7000里+3000里+500里+1500里)のか、めっちゃ遠い所の意かもしれません。

    3.梯儁一行は、卑弥呼の居館へ行ったのかどうか。
     伊都国の、三雲番上遺跡には楽浪郡と関わりの深い遺物が多く出土していますよね。
     伊都国は「郡使往来常所駐」であり、郡使の常駐施設はあった。
     ただ、大和説の皆さんからいつも指摘されたのですが、魏帝の使いは郡使ではなく魏使であり、詔書印綬は直接本人(卑弥呼)に会って渡すものだそうです。
     ですが、魏志倭人伝を読む限り、本当に卑弥呼に会ったかどうかは、疑問の残るところです。
     なので、私の解釈としては、魏使一行は卑弥呼の居館へは行った。けれど、直接会った確証はない。ってところですね。


    郭さん、こんにちは! 山の肥後人 投稿日: 2019年11月02日 13:53 No.22 【返信

    朝夕、寒くなってきました。

    >畿内説の皆さんの中には、それは伊勢湾だって言う人もいますね。

    彼らは「魏志倭人伝」を読み解いてるのではなく、
    邪馬台国を畿内に持って行く方法を探っているだけにしか見えません。
    九州説なるものを唱える人の多くもそうですが。
    とにかく「行程」を読み解けていませんから。

    >魏使一行は、伊都国で上陸して卑弥呼の居館まで陸行した。

    「至」と「到」の使い分けが理解できれば、魏使一行は伊都国に留まります(常駐)。
    ま~、ほとんどの人が理解し切れてないから、仕方ないかな。^^;

    >その余の傍国の南限は菊池川ではないかと。

    ですね!マイ本で、その余の傍国のほとんどを比定してます。
    それにしても、玉名川でなくて菊池川なんですね。


    来週には、紅葉見て、温泉に入って来たいな~。


    こんにちは! 山の肥後人 投稿日: 2019年10月21日 12:06 No.20 【返信

    久し振りにパソコンの前です。

    「水行」「陸行」はマイ本に譲るとして、「渡海」は陸続きではないことを表現しているので、「女王国東 渡海千餘里 復有国皆倭種」は畿内説では成り立ちません。

    もうひとつ基本的なことで「至」と「到」の使い分けです。
    ほとんどの人がこのふたつの漢字をわかっているようでありながら、理解できていません。
    郭さんは山登りをされるようなので、マイ本の「ハイキングコース」の説明が容易に理解できると思います。
    もっと一般的に言えば「至」が省いてありますが「道路案内表示板」を、よ~く理解すればわかります。
    結果、魏の使いは「邪馬台国」へは、行っておりません。

    >末盧國は、呼子から唐津にかけてでしょう。
    >伊都国まで船で行ったことがわかる。

    同じ考えです。

    ここ数日で、山はずいぶん涼しくなりました。
    薪ストーブの出番です。
    投稿日: 2019年10月22日 10:51 No.21
    山の肥後人さん、こんにちは。

    >「渡海」は陸続きではないことを表現しているので、「女王国東 渡海千餘里 復有国皆倭種」は畿内説では成り立ちません。

     畿内説の皆さんの中には、それは伊勢湾だって言う人もいますね。

    >結果、魏の使いは「邪馬台国」へは、行っておりません。

     同感、私もそう思います。つまり、倭の女王卑弥呼は邪馬台国にはいなかった。
     だけど、
    ・正始元年、太守弓遵遣建中校尉梯儁等、奉詔書印綬、詣倭國、拝假倭王、并齎詔、賜金帛錦ケイ刀鏡采物、倭王因使上表、荅謝詔恩

     この一文から、梯儁一行は、倭の女王卑弥呼の居館へは行っている。ただし、直接会ったどうかは不明ですが。
     いづれにしても、卑弥呼は、邪馬台国にはいなかったと考えます。狭義の卑弥呼の都とする所としての女王国≠邪馬台国。

     で、魏使一行は、伊都国で上陸して卑弥呼の居館まで陸行した。
     なので、九州の(北部九州の)どこかでしょうね。

     倭国の意としての広義の女王国もまた北部九州、その余の傍国の南限は菊池川ではないかと。

     牛すじの煮込み中。あとはじっくり待つだけです。
     ブルーベリージャムがそろそろ切れるので、きのうりんごを買ってきたのでりんごジャム。
     珈琲の焙煎も。
     飲みながらやってます。(^o^)


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