濃淡の深淵なるもの


| トップに戻る | 検索 | アルバム | 管理用 | ▼掲示板作るならRara掲示板 |

北の大地を切り拓いた人々
水墨 投稿日:2022年09月25日 19:53 No.54
2度目に北海度に渡ったときの、町や村々の入口に、
「開拓100年」と言う大きな表示板が掲げられていた。

それ以前に、三重県松阪市の国道を車で走っていると、
北海道の名付け親「松浦武四郎」の表示を見かけた。

50年前、長崎市出身の高校の同級生に街で会うと、
開口一番、北海道に移住をすると、私に希望の言葉で
話をした。

弟が死んでから、風の便りで、甥が北海道出身の
航空自衛隊の方の養子になったと聞いた。

33歳、課の若い者が、須崎公園でコンサートを
するので、聴きに行ったことがあり、高音で
松山千春さんの歌が上手かった。
その時、東京戻りの同僚が奥さんを連れてきていた。
今まで、見てきたことがない、女性の雰囲気の漂いに、
何処の方ですかと、尋ねてみると、北海道とかえって
きた。嗚呼、北海道の女性なのか、澄んだ透明な
クリスタルなようだと感じた。


旭川市から札幌市に向かっていたときに、ラジオから
開拓時代の話があり、厳寒の冬を越す度に、粗末な
家の戸口から雪が吹き込む中での暮らし送った老婦人の
ことが耳に流れてきた、厳しすぎる自然を生きてきた、
「見つめる目がシャープ」との、
女性アナウンサーの語りを、今でも覚えている。

私は北海道とは本州を挟んだ、南の島に生まれてから、
ずっと住んでいたので、北海道開拓の歴史を殆ど知ら
なかった。

また、語れる何をも持たないが、明治維新以降の国の
有り様の激変に翻弄され、人口増加や、自然災害により、
新天地を求めて、鬱蒼とした昼も暗い密林、不毛な原野
を開墾した、全国から移住し、北の大地に立ち向かった
人々が綴られた文字に、目を落とすと涙が滲んでしまう。




お名前
メール
画像添付


削除キー ( 記事を削除する際に使用 )
文字色