80s岩手県のバス”その頃”掲示板


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無題 釧オロ 投稿日: 2024年03月09日 09:14:38 No.580 【返信】

管理人様、連投失礼します。

今月限りで、JR根室本線富良野~新得間が廃止の運びとなります。
既に東鹿越~新得間は水害による運休が久しく続いており、廃止とはいってもなんだか「あっ、そう」と冷めた感じでいる私であります。
JR北海道の路線廃止が相次いで北海道の鉄道地図も明治時代の時のそれより寂しくなっており、なんだか感覚がマヒしているのでしょうか…

さてさて…
廃止後の代替交通はやはりバスで、ふらのバスがリフト付のセレガを新車購入して、主な代替輸送を担当する運びとなりました。
南富良野町も、町営のバスを運行するようです。
他には帯広~旭川間の都市間バス『ノースライナー』も増便され、途中停留所も追加されます。

それに備え、十勝バス・北海道拓殖バスにも新車のセレガ・ガーラがそれぞれ納車されました。
拓殖バスのガーラは、既に運用入りしています。

十勝バスには、補助金もあったのでしょうが、まがりなりにもコロナ禍以降4年ぶりの新車購入となりました。
これを足掛かりに、2024年度は活発な車両の動きがあれば…と祈っております。


管理人 投稿日: 2024年03月09日 16:06:54 No.582 【Home】
釧オロさん、こんにちは。
鉄道にしろバス路線にしろ、役目を終えたものが消えて行くのは仕方がない話ですね。
鉄道というのは、1両で100人以上運べる乗り物なので、それだけの輸送量がなければ、廃止はやむを得ません。
もっとも、その代替輸送が必ずしもバスである必要性はありません。
沿線自治体にとっては、責任もあるので、とりあえずは物的、人的投資をして代替バスの運行を始めるのが定石ですが、それがずっと続くかどうかは、分かりません。朝夕の通学輸送と、少数の高齢者の輸送だけのために公共交通が成立するものではないと、分かってもらう必要があります。


イトーヨーカドー帯広店と路線バス 釧オロ 投稿日: 2024年03月09日 08:58:08 No.578 【返信】

管理人様おはようございます
こちらの掲示板で東北地区のイトーヨーカドーの話題で盛り上がっていたようなので、別スレで支援します(笑)

北海道でのイトーヨーカドーは1975年に、帯広店開店から次々に北海道の主要都市に次々と進出しました。
他の都市でも同じ現象が見られたのかと思いますが、帯広市では『ヨーカドーショック』と呼ばれ、数年後のニチイ帯広店オープン(現イオン帯広)と合わせて、帯広市内の購買地図を一変させました。
1998年に現店舗に移転して20数年後の今年6月、世情には逆らえずに閉店ののち、食品部門は同じセブン&アイ系列のスーパー『ダイイチ』が引き継ぐ事になりましたが、他テナントの穴がどうなるかというのは、未だ不透明です…

旧店舗では隣接して帯広市営のバスターミナルも併設されていましたが、様々な諸問題を解決出来ないまま、昭和末期に廃止されましたが、現店舗でもバス乗り場がしっかりと整備され、十勝バスの3系統が構内に乗り入れております。

一部界隈で密かな話題にもなった『イトーヨーカドー入口』と、構内には『イトーヨーカドー前①』『イトーヨーカドー前②』の2バースが用意され、敷地外には北海道バスが運行する『帯広特急ニュースター号』の『イトーヨーカドー帯広店前』も存在しています。
ちょうどいいタイミングで、『夢大陸とかち』カラーの十勝バス(そのままのカラーのまま、市内線運用されております)が②乗り場に到着しました。

使いようによっては重要な結節点になりそうだったイトーヨーカドー前、果たしてどうなるやら…


釧オロ 投稿日: 2024年03月09日 09:01:14 No.579
①乗り場に到着した十勝バスから、開店前の時間にもかかわらずそこそこの乗客が降車しました

管理人 投稿日: 2024年03月09日 15:56:40 No.581 【Home】
釧オロさん、こんにちは。
北海道からも、イトーヨーカ堂の店舗が姿を消してしまうのですね。
イトーヨーカ堂やダイエーなどがGMS(総合スーパー)の出店攻勢を始めたのが1970年代後半から(つまり昭和50年代から)。当時、攻めのダイエーと堅実なヨーカ堂が、東西2大横綱として時代をリードしました。そしてバブル真っただ中の1980年代末にニチイが「マイカル」という巨艦店を出店し始め、モール型SCが新たなブームになります。
そんな大型店の全盛期を見ている者にとって、マイカルもダイエーも、当時今一つ個性を発揮していなかったジャスコ(現イオン)になってしまったことには、一抹の寂しさがあります。そして、イトーヨーカ堂も時代に合わせた展開に乗り遅れたのだと思うと残念です。
この辺りは、実はバス事業が時代に乗り遅れたこととも何か共通する気がします。世の中の変化に逸早く気付いて、これまでの安定していた事業に早く見切りをつけ、時代に合わせた新しい展開を図れるかどうか。
それから、バブル時代に調子に乗って身の丈に合わない投資をしたことと、バブル崩壊後にそのリスクを見抜けずに、2000年代に入って経営に躓いてしまったことも。


更新後記(2024.2.12) 管理人 投稿日: 2024年02月12日 19:48:28 No.552 【Home】 【返信】

先日、イトーヨーカ堂の閉店のニュースがあり、北海道、東北、信越地方から店舗がなくなることが報道されました。
岩手県では花巻店、青森県では弘前店、青森店などが食品スーパー「ロピア」に引き継がれるそうです。
やはりここで気になるのは弘前バスターミナル。イトーヨーカドーをキーテナントとしたバスターミナルでした。GMS(総合スーパー)とバスターミナルの組み合わせは、全国的にも数多く存在したのですが、市街地中心部に立地するGMS自体が時代遅れになってしまい、次々と姿を消しています。
ここで添付したのは、弘南バスの時刻表冊子の表紙(1984年)。表紙そのものがイトーヨーカ堂の広告になっています。
次が、ヨーデル号時刻表ののりば案内図(1985年)。当時から非常に気になっていたのですが、店舗の表記が「イトーヨーカ堂」となっていること。会社名は「イトーヨーカ堂」ですが、店舗名は「イトーヨーカドー」なので、店舗名を書くべきでは・・・。
もっとも、同時期の松本バスターミナルののりば案内(1988年)も、同様でした。
バス会社脳なのか、大人の目線なのか、当時のバス会社の配布物というのは、この程度のことは当たり前でした。


とまります 投稿日: 2024年02月13日 21:26:20 No.556
こんばんは。
リンク先の「イーハトーブ交通センター」掲示板でも同じような内容を投稿しているので甚だ恐縮ですが、やはり地元のことなので・・・
弘前バスターミナルには及びませんが、ヨーカドー花巻店でも1988年11月16日の開店当初からバス乗り場が設けられました。
(弘前と違って店舗から40mほど離れた場所で、乗り場が1つで4~5台のバスが待機可能な広さ)
開店に合わせて花巻管内のバス路線のほとんどが乗り入れ、場所を変えて「花巻バスセンター」が復活したような感じで
バスセンターには入らなかった湯口線・太田線もここには乗り入れています(太田線は90年代中頃からなぜか花巻駅発着に変更)
それまでは上屋と風よけがあるだけだった乗り場に、2021年12月に市が待合室を設置し発車案内板も設けられました。

バスの行先表示は、開店当時からずぅ~と「イトーヨーカドー」ですが、バス停名は待合室が設置されるまで「イトーヨーカ堂」でした。
(しかし時刻表では開店当時から「イトーヨーカドー」と表記)
待合室が設置されて「イトーヨーカドー」となったのですが、行先表示に合わせたのではと思われます。
閉店を伝える地元紙もこんな感じ。
「堂」と「ドー」の使い分け、興味深いです。

画像右はヨーカドー開店に合わせてダイヤ改正された際の花巻管内時刻表です。


とまります 投稿日: 2024年02月13日 21:31:17 No.557
連続投稿失礼します。
左は2019年4月のある日の「イトーヨーカ堂」バス乗り場の様子。
ポンチョの後ろにバス停の上屋が見えます。
(右の建物はホーマック花巻店跡)
中:待合室の発車案内板
右:2021年12月の時点では屋上の看板は「7&i」でしたが、この2か月後に鳩マークが復活しました。
(ただし、横長で天地幅の小さいものでなぜか北側と東側にしかロゴが描かれていません)


管理人 投稿日: 2024年02月13日 22:25:35 No.558 【Home】
とまりますさん、こんばんは。
花巻店はこんなにバスが待機するターミナルになっていたんですね。
商業施設は、目的地であると同時に、時間を潰すこともできるので、バスの起終点や乗り継ぎ拠点には最適なんですよね。

岩手日日は店名を書いているので「イトーヨーカドー」、岩手日報は会社を指しているので「ヨーカ堂」、やはりマスメディアは正確に書き分けます。

「7&i」の看板は、一時期一斉に広がりましたね。ファミレスのデニーズもこれになった時期があります。
セブンイレブンのイメージが強いデザインなので、大型スーパーがコンビニになったのかと思い違いをする人もいたようで、鳩のマークが復活したんでしょうか。
実際、最初は「イトーヨーカ堂がセブンイレブンを経営している」だったのが、今は「セブンイレブンが(お荷物の)イトーヨーカドーを経営している」に変わってしまいました。
投稿日: 2024年02月16日 23:22:38 No.559
「イトーヨーカドー」「イトーヨーカ堂」
気にしたことがないくらい、どちらでも認識していたように思います。子供の頃に田舎へ行くのに、松本駅前のイトーヨーカドーに併設されたバスターミナルを利用していたのですが、信号機や放送案内などシステマチックに運用されるターミナルに、北村製作所の標準床旧型バスが次から次へとと発着するのを眺めながら、異世界に来たような雰囲気を味わっていたのを思い出しました。
前後扉で後ろは締切、そして階段のところに金属チェーンが無造作に放り込まれているなど、興味深いところはたくさんあったんですけどね。子供なので貴重なフイルムを使わせまいとカメラを使わせてくれませんでした。
管理人 投稿日: 2024年02月17日 21:22:25 No.560 【Home】
獣さんの田舎は松本だったんですね。
松本バスターミナルは、1階がバスのりばですが、当時は地下の食品売り場からでないとホームに上がれない構造でした。その食品売り場は、イトーヨーカドーではなく、松電グループの松電ストアでした。

実は長野県には、もう一つヨーカ堂と関係性の深いスーパーチェーンがありました。1973年にヨーカ堂と業務提携した「ヨークマツヤ」です。イトーヨーカドーの看板と同じ青と赤を使っていましたが、真ん中の白はMの字でした。ヨーカ堂との提携を解消した後もこのマークを使っていました。
似たような例が、福島県の「ヨークベニマル」ですね。こちらは、イトーヨーカドーのマークの青を緑にしています。学生時代に東北旅行をすると、緑色のイトーヨーカドーが車窓から見えるので、ちょっと楽しみでした。
”その頃”のイトーヨーカドー 601号 投稿日: 2024年02月18日 23:28:06 No.561 【Home】
おばんでございます。

イトーヨーカドーと言えば、岩手県第1号は”その頃”の1986年3月21日、北上駅前にオ-プンした北上店でした。
この直後、私は岩手を離れることになったのですが、ホテルも併設した待望の駅前ショッピングセンターが出来たのは、まるで北上駅がいわゆる民衆駅に生まれ変わったような感動すら覚えました。
さらにこの半年後に行われた国鉄最後のダイヤ改正時に北上駅では東口の開設と、0番ホームの増設が行われました。
新幹線開業後に在来線優等列車の大半が消え、さらには「快速くりこま」も廃止される等、寂しい状況が続いていましたが、このダイヤ改正では、従来と同じ客車と気動車によるものではあるものの、北上~盛岡間・普通列車日中30分間隔での運転が始まり、駅とその周辺の大きな変化により、新時代の到来を感じさせてくれました。

しかしながら既に車社会となっており、市街地にも近い駅前という環境では、平面駐車場からは距離があり地下道を通り階段を上り下りしなければならなかったこと。立体駐車場とは直結していて、雨でも濡れないというメリットはあったものの、駐車場内が狭く敬遠されがちだったこともあって、広い平面駐車場を持つ花巻店とは売上の差が大きく開いていたようです。
その後、開店14年に満たない2000年1月に閉店となってしまい、その後はホテルも閉業。現在は居酒屋や公共施設、オフィステナント等が入居しています。

2017年6月、東北新幹線開業35周年記念イベントとして、このビルの中で開業当時の写真を展示していたので、その様子を撮ってみました。
バスのりばには、当時も岩手県交通の代表格だった自社発注のBU10や、国際興業からと思われるBU04、釜石特急の平屋CSA580と思われる車が確認出来ます。また、別角度の写真では、元花巻バスの金産ボディRE100も小さく見えています。


Re: ”その頃”のイトーヨーカドー 管理人 投稿日: 2024年02月19日 20:35:19 No.562 【Home】
601号さん、こんばんは。

盛岡~北上間に急行形気動車2両編成が「シティ電車」並のヘッド運転を行ったダイヤ改正。懐かしいです。
イトーヨーカドー北上店の開店は、そんな時代だったんですね。
ワシントンホテルも併設されていたとは。
最上階のレストランフロアの横長の展望窓、シースルーのエレベーターの縦長の窓、こういった特徴は、他のイトーヨーカドーでも見られました。
残念ながら“その頃”に撮った写真はないのですが、1年くらい前(2022年12月)に北上に行った折、それらの特徴から「これは元はイトーヨーカドーだったよなあ」と思いながら撮った写真を添付します。
ちょうど「IKK」の国際興業カラーが止まっていたのが、撮影した直接の理由ではありますが。
601号さん添付の写真と見比べてみると、同じ建物の30数年間の変化が読み取れます。


左党89号 投稿日: 2024年03月03日 20:22:55 No.576 【Home】
話はそれますがイトーヨーカドー絡みで。
今から20年前、長野へ行ったときに上田から丸子へ寄り道しました。
上田から丸子へはJRバスも運行されていますが、自分の通った時間帯はタイミングが合わず往復とも千曲バスで往復したのですが、帰りの車中、乗務員無線から「ようかどうが云々」との無線が聞こえてきました。
この時は全国展開しているイトーヨーカドーだからあってもおかしくないし、「ヨーカドー」と略しているのかなと思っていたのですが、実はバス停「八日堂入口」を指していたことと通過したときに気づいた次第。
改めて地図を見ると、しなの鉄道信濃国分寺駅近くに「八日堂」という寺院があるのですね。(1枚目の写真参照)

余談ですが、このとき、丸子へ行くときは大屋駅から乗り換えたのですが、この大屋駅が駅近くにある郵便局と合体してオープンしたというニュースを目にしました。
大屋郵便局にも訪問していましたが、改称局は再訪対象という自己ルールにより再訪したいですね(いつ実現するのかわかりませんが…・2枚目の写真参照)


管理人 投稿日: 2024年03月03日 22:04:10 No.577 【Home】
左党89号さん、こんばんは。
そうなんです。信濃国分寺に八日堂というのがあり、1月には八日堂縁日が開かれ、蘇民将来符が頒布され、大勢の人で賑わいます。
なので、「明日ようかどう行って〇〇もらう」と聞いて、信仰心のない人間は、ヨーカドー行って福引でもするのかと勘違いしたりします。
蘇民将来と言えば、岩手県の蘇民祭が有名ですね。同じ起源だと思います。


アルピコカラー 投稿日: 2024年02月28日 10:55:08 No.570 【返信】

C.I.戦略によりバス車両などのカラーリングが統一されることは、その地域のイメージ向上にも一役買っていますね。アルピコカラーは、ただのド田舎がおしゃれな観光地に生まれ変えたようにも思います。

松本電鉄に関しては、旧来のカラーリング(クリームに濃色赤青)がタクシーにも適用されていて、確か前ドアだけがバスと同じカラーになっていたと記憶しています。

多くのバス事業者が、路線車両と観光車両でカラーリングを分けているのは、かつて車体構造自体に大きな違いがなく、同じカラーリングだと区別しにくかったからなのでしょうか。
更新後記(2024.2.28) 管理人 投稿日: 2024年02月28日 22:29:43 No.571 【Home】
それではここを更新後記で便乗させていただきます。
これまで、「系列会社」「理由が明確なデザイン」のところに分かれて掲載していたのですが、今回CIによって導入されたデザインについては、新規掲載含めて一つのページにまとめました。

松本電鉄系列のタクシーの旧デザインは、わざわざ撮影していなかったのですが、探したらバスの写真の隅に写っていました。
曲線塗り分けのBUの端に写っているのがドアだけ松電カラーのタクシー、直線塗り分けのMPの端に写っているのがそれをリファインしたデザインのタクシーです。

路線バスと貸切バスとでデザインを区別しているのは、営業施策の違いが一番の理由でしょうね。
貸切バスは、まずは地域で自社を選んでもらう必要があります。また観光地の駐車場などでは、他地域から来たバスより立派で目立つ必要があります。
それに対して、路線バスは、基本的に競争が少ない中で、街の風景の一つとして長く愛される必要があるのです。


のむ 投稿日: 2024年02月29日 00:36:03 No.572
1982年に茅野駅で撮影したタクシーです。スタッドタイヤにスキーラックと冬の長野らしい仕様です。この写真をきっかけにXにチラインタクシーとして写り込んだだけのものを投稿したら受けました。

投稿日: 2024年02月29日 11:38:13 No.573
管理人様、更新後記の前に書き込みしてすみませんでした。
C.I.という観点での記事は、新たに想像させられるものがあり、興味深く読ませていただきました。
また、管理人様、のむ様、松電カラーのタクシー写真をありがとうございました。
子供の頃に見たきりなので、とても懐かしく思います。
スキーラックが付いているタクシーというのは今どきあり得ませんね。
管理人 投稿日: 2024年02月29日 22:13:43 No.575 【Home】
のむさんの撮影したタクシーは、ドアだけバスと同じで地色が肌色になっており、当時から違和感ありありのデザインでした。シルバー地色のタクシーでも、このドアを使っていました。
これが、私が上で添付した見にくい画像の車両(つまり、ドアだけデザインが違うものの、地色は白)に変わって行ったのです。

ここでは、1980年代に松電グループ入りに伴い新デザインを導入した川中島バスと、その傍系の川中島タクシーのカラーデザインを添付します。
GI導入の直前の5年間くらいしか見られなかったデザインです。川中島タクシーは、通称「川タク」と呼ばれていましたが、側面のローマ字は「KAWA TAXI」になっていました。




過去ログにあった上田交通上田駅の5RAだったと思う廃車体 のむ 投稿日: 2024年02月29日 13:51:29 No.574 【返信】

写真が見当たらないと書いたやつですね。東急の観光カラーと同じでしょうか。扉から覗いて5RA??というプレートを見た覚えがあります。車内は休憩室のようでした。隣の廃車のタクシーもちょっと気になります。



上田交通 日産デ4R94(1968年式) のむ 投稿日: 2024年02月27日 18:22:30 No.567 【返信】

長野県の廃車を見ていて気付きました。上田交通 日産デ4R94(1968年式)社番が1番違いの4R94。以前投稿したと思いますが。上田交通上田駅でタクシーのスタッドタイヤを保管している倉庫になっていたやつです。1983年夏の撮影だったと。前年冬にMR410がすでに倉庫となっていたのですが増築(笑)されていたものです。たぶんスタッドタイヤの規制とともに撤去されたのだと思います。以前の投稿が消えているようなので再スキャンとともに投稿してみました。撤去済み。

管理人 投稿日: 2024年02月27日 21:55:19 No.569 【Home】
のむさん、こんばんは。
こちらも、過去ログがこちらにございます。
https://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/bbs/2020/2146.html
異なる写真ですね。

この手の車両の廃車体も、つい最近まであったものが、急に消えたりしています。
また、劣化も激しく、写真のようなきれいな状態だった時代が懐かしく思えます。


南入曽にあった廃車体。 のむ 投稿日: 2024年02月27日 18:03:44 No.566 【返信】

西武の南入曽車庫近くに移動したもと内山観光のMAR470。ガラスは小学生の投石で割られたとか。小手指付近よりここまで2キロ、もと東都バスのオバQ、BUを引っ張って自走できた。オーナーはキャンピングカーとしてリタイア後に全国を回る予定だったとか。オーナー急逝によりとても残念なことになりました。再スキャンしたので載せてみました。長野に同型が残るのが奇跡です。撤去済み。

管理人 投稿日: 2024年02月27日 21:52:24 No.568 【Home】
のむさん、こんばんは。
旧掲示板は2022年に閉鎖となりましたので、当時の書き込みの中からセレクトして過去ログに残しています。
https://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/bbs/2020/2096.html
容量をセーブするため、サムネイル画像のみですが、拡大画像は保存してありますので、場合によっては復活も可能です。
過去ログのページへは、BBSメニューの一番下にボタンが作ってあります。

オバQの廃車体は、東都観光カラーから、塗り替えられたんですね。


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