母と縁を切る - (仮)『一 彩 庵』日常の瞑想空間〜みんなの幸せ日記帳〜
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母と縁を切る
一彩
投稿日:2023年08月18日 20:44
No.838
今日の帰宅後にまた一悶着あり、
やはり母に寄り添うことは不可能と判断して縁を切りました。
市役所の福祉課の職員や精神科の医師から、
母親とは関わりを持たないのが一番と言われていましたが、
こっちは実の母ですし、住居も徒歩10分なのでそうもいかず、
先日も一緒に高野山に墓参りも行きましたし、
明日と明々後日の月曜日、母の手伝いをする予定でもいましたが、
やはり限界です。
ちょうど運良く今日は地域包括支援センターの人が二人母を訪ねて来ていたので、
理由を説明して、あとは任せて来ました。
今日来ていた二人も所詮は業者なので、老人施設入りを勧めるばかりで母の為にはなりませんが、
私にもどうしようもありません。
こうなれば火事場の馬鹿力で、仕事後にも関わらず、
母の家にあった熱帯魚の60cm水槽と40cm水槽の二つを一人で今のアパートまで運びました。
今までは母が餌やりをしてくれていたので。
邦彦
投稿日:2023年08月20日 03:53
No.840
「今では色褪せてしまったセピア色の思い出ですが、
小学校の花壇に座り、小学校の前で、私と二歳だった弟と、
母によって和菓子を食べさせてもらった記憶がおぼろげに残っています。
当時、洋菓子などを目にしたり口にすることはありませんでした。
ある識者が少年時代のエピソードで、あの頃のことが自分の限界だったと
語っていましたが、まさに私にとっても和菓子を口にしたあの頃のことが、
私にとっての限界なのかもしれません。
母が他界してからもうすぐ四十年を迎えようとしています。
生前、母が冗談に「冬になっても墓に布団は掛けられないよ」と言っていた
ことがありました。
今となっては、母に何もしてやれなかったことを悔やんでいます。
感想:
あなたの文章は、セピア色に包まれた温かい思い出と、大切な家族との
ひとときを美しく表現しています。記憶の一場面が、読者にも共感を呼
び起こすような描写となっており、特に母親とのかけがえのない瞬間が
深く感じられます。文章の構成も自然で読みやすく、感情がしっかりと
伝わってきます。母の言葉があなたの心に深く残り、後悔や感慨が満ち
ていることが伝わってきますが、過去を振り返ることで得た気づきや
感情は、将来への指針となるものかもしれません。
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