写真1枚目は、二子塚古墳から見た推古天皇陵。
写真2枚目は、推古天皇陵から見た二子塚古墳。
ネット上では「二子塚古墳こそ本当の推古天皇と竹田皇子の墓との言い伝えも残っています。」とも書かれるほど、
その規模といい、古墳の形態が双方墳でその双方に同じ規模の石室がある事実と言い、
自分が死んだ時は息子の竹田皇子(たけだのみこ)と同じ墳墓に葬って欲しいと言う推古天皇の意向にも当てはまります。
で、現在の超立派な推古天皇陵は、江戸時代から明治時代にかけて推古天皇陵に認定?された時に、
あの神武天皇陵のように、土が更に盛られて、陵域も拡張されて立派なものに整備された可能性もあると思います。
で、この近くには同じように天皇陵クラスの大きさを持ち、2つの石室を持つ長方墳もしくは双方墳と見られる葉室塚古墳(写真3枚目)もあります。
更に同じように二つの石室を持つ奈良県の植山古墳も、本当の推古天皇陵だとも言われています。
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