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伊那下の和歌 (ほ)
山人 投稿日:2011年08月24日 08:22 No.47 【Home】

      四方拝

  越可美末須 今左能火可美遠 波之免爾亭

    御代乃光や 與母仁加ゝ也久

           諸歌和集所文学博士榲邸

  をかみます けさの火かみを はしめにて

     御代の光や よもにかゝやく
            小杉榲邸(こすぎすぎむら)

  四方拝(しほうはい)

四方拝は、正月元旦の早朝、神嘉殿前庭(しんかでんぜんてい)で、白砂の上に小さな畳を敷き屏風で周りを囲った御拝座に、黄櫨染御砲(こうろぜんのほう)を召された陛下が出御(しゅつぎょ)される。そこで伊勢の神宮をはじめ天地四方の神々、御先祖を遙拝(ようはい)され、敬神崇祖のまことを申し述べ、世の平安を祈られる儀式です。
 宮中では、このような祭事が千二百年近く続けられておりいます。
 われわれが元旦早々に初詣をして新年の挨拶をかわすような正月儀礼は、宮中行事の影響により拡大普及したものである。

 小杉 榲邨(こすぎ すぎむら、天保5年12月30日(1835年1月28日) - 明治43年(1910年)3月29日)は、国学者。
徳島の人。藩校で漢学経史を学び、古典の研究に専念し、本居内遠の門人である池辺真榛に師事。安政元年(1854年)、江戸に出て、村田春野、小中村清矩と交わった。文久ころ、勤王論を唱えて幽閉された。明治2年(1869年)、藩から地誌の編集、典籍の講義を命じられた。廃藩ののち、名東県に出任した。明治7年(1874年)、教部省に出仕し、明治10年(1877年)に文部省で修史館掌記として『古事類苑』の編集に従った。明治15年(1882年)、東京大学古典講習科で国文を講じ、さらに文科大学講師、その間、帝室博物館監査掛評議員として古社寺の建築、国宝の調査に従事し、明治32年(1899年)、美術学校教授、御歌所参候を兼ねた。明治34年(1901年)、文学博士。「徴古雑抄」の著がある。
明治40年(1907年)、『源氏物語』の写本のひとつである大沢本を鑑定した(「鑑定筆記」)。



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