投稿画像
投稿者:管理人
昨晩お知らせした日田市や西都市の山田の字名や前方後円墳状地形を等を結ぶ方位ラインについて、さらに今回九州各地の山田等の字名と前方後円墳状地形を接続したのが図1となります。 具体的には、まず山田(日田市)⇔鎌田原遺跡⇔伊川・大日寺の古墳状地形へと延びる西52度偏角のラインがあり、それと平行して、名島4号墳⇔平塚川添遺跡への西52度偏角のラインがあります。 また高良大社⇔平塚川添遺跡⇔鎌田原遺跡⇔赤村古墳状地形(今任原)⇔石塚山古墳への東52度偏角のラインが見えてきます。 その交点となる鎌田原遺跡遺跡については、そのやや南方でラインが交差することになりますが、その北方に前方後円墳状地形があることも以前指摘したとおりです。 その石塚山古墳は3世紀代とも言われる初期の前方後円墳であり、初期の三角縁神獣鏡等も出土しています。 また、後者と直交するのが、山田(北九州市)⇔石塚山古墳⇔川部・高森遺跡への西38度偏角のラインがあります。 そのラインと平行になるのが、山田(北九州市)⇔伊川・大日寺(古墳状地形)への東52度偏角のラインとなります。 その伊川・大日寺の古墳状地形については、図のように、名島4号墳(纒向型前方後円墳)⇔伊川・大日寺の古墳状地形⇔赤村の古墳状地形への東西ラインがあり、また伊川・大日寺の古墳状地形⇔平塚川添遺跡への南北ラインがあることも以前指摘したとおりです。 その赤村の古墳状地形については、地元の歴史家によって前方後円墳状であることが明らかにされているところです。 そして、その赤村の古墳状地形⇔山田(北九州市)への南北ラインも見えてきますが、赤村の古墳状地形の前方部に今任原の字名があり、そのイマトウがヤマトと関係することも明らかでしょう。 その他、先日も指摘した女山神籠石⇔山田(日田市)⇔川部・高森遺跡への東30度偏角のラインもありますが、その女山神籠石の西に山門の字名があり、こちらもヤマトの音で山田等と共通性があります。 なお、その山田(北九州市)の位置には山田緑地があり、元は集落があったようです。 こちらの地図参照(https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000807026.jpg) 全体的には、ヤマダ・ヤマトといったヤマタイ国に関わる字名と、弥生末期から古墳初期の遺跡を結ぶラインとなり、弥生時代後期の主要拠点であった平塚川添平遺跡から派生していった集団の拠点であったろうことが予想しうるでしょう。 そのどこかに卑弥呼の都があったとしてもおかしくはないのですが、先の赤村の古墳状地形から西へ延びるライン上に豊受神社がみえるように、伊勢・アマテラス信仰との関わりも予想されることがあり、昨晩示した天岩戸神社へと延びるライン群とともに、卑弥呼・台与といった女王と女神との関わりも考慮しておくべきかもしれません。
投稿記事
画像を拡大