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投稿者:KZ
『遠くで汽笛を聞きながら』     https://www.uta-net.com/movie/3232/     詞 谷村新司  曲 堀内孝雄 ☆もう五十年以上会っていない古い友人だけれど たぶん今も郷里の、あの駅通りの家で元気に暮らしていることだろう。盆栽でもやっているかな… 遠くで汽笛を聞きながら。 彼の性格なら きっと長生きできる。一度は 懐かしいIくんの表情を書き留めておきたかった。 ☆たぶん私の方が半月くらい早く 高校の映画班に入部していた。朝から例の階段下の部室に「出勤」し 帰る時までクラスには寄り付かない。どうしてそんな生活が可能なのか、それほど映画班は面白いサークルなのか。たぶんそんな(奇異な)目で 多くの新入生たちは ネズミの穴みたいな薄暗い階段下の部室を眺めていたことだろう。 Iくんとは同じ中学の出身で 顔だけはお互いに以前から知っていた。帰りの汽車(信越線)の中で そんな同学年の数人と雑談していた時だった。映画班に入ったんだろう、あそこ 面白いの? I くんが おっとりした口調でそう尋ねてきた。彼は中学では 軟式庭球部にいたのだと聞いていた(副部長だった)。うーん… 分からない。でも俺には クラスよりはずっと居心地がいい。 実は三年生のM 班長は 同じ中学出身の人だった。それから他にも何人か そういう先輩たちが屯していた。だから世間話はしやすかったけれど だからいい部活とも言えない。階段下の部室は恐ろしいほど狭くて汚いし、使える予算も おそらく一番小さな部類に入るのだろう。そして…なにしろ女子部員というものが ただの一人もいない。入部して半月 部室で見た女性といえば 班長の背の高いクラスメイトが 何かの事務連絡で数分間立ち寄った その一回だけだった! これでは 他の誰かに入部を勧められるわけもない。 そのうち 8ミリの撮影旅行とかは企画するらしいよ。あとは秋の文化祭の時に 体育館でなんか上映会をするらしい。それくらいしか聞いてないんだ。 でも他に 俺には行くところがないんだ、その一番大きな理由は Iくんに言わなかった。言ったところで 何の説明にもならない気がした。自分がふつうの高校生らしい暮らしができないと宣言しているだけに思える…。 みんなの話題は すぐに別のところに移って行った。当然だと 私も思った。あの部室に どんな存在理由があるのか、誰かに説明するのはとても難しいことだった。 ☆だから翌週 Iくんが突然 階段下の部室を訪ねて来て 入部したいんだけどと切り出した時 私はえらくびっくりした。本気なの? なんか勘違いしてない? ふつうに誰かに訊いたら あそこだけはやめておけって 大抵は言われる筈なのに… 手続きは どうしたらいい? Iくんは重ねて訊いてきた。ちょうど部室にはM班長がいた。紹介するよ、入って。そう言って Iくんの入部は決定したのだった。 翌日の朝 遅刻ギリギリの時間に階段下に駆け込むと もうIくんは教科書を抱え 移動教室に出かけるところだった。重い革カバンは 部室の隅にきちんと置かれている。 早えなあ もう出るんだ。うん じゃあ行ってくる。嬉しそうに笑って 彼は一時間目の教室に出撃して行った。急がないと私も ほんとうに遅刻しそうだった。古い木造校舎の廊下には もう誰の姿も見えない。 ☆昼飯 ここで食べていいんだよね。もちろん、私は答えた。なんか埃っぽいし お茶も何にもないけどさ。それぞれの弁当箱を広げ 我々は長椅子に並んで昼食を食べた。同じ釜の飯を食う それが最初のことだった。時には出入り口にもなってしまう横長の窓からは 渡り廊下を行き来する生徒の姿がちらほら見えている。 ☆しばらくして 私はIくんの兄さんの話を ある先輩から聞いた。同じ高校の出身で 歳はわれわれより七、八歳上になるらしい。 容貌はIくんに似ておっとり優しい感じだったが… 伝説の人なんだわ これが。凄い頭の人でさ。当たり前の顔をして 入学から卒業まで 成績はほぼ毎回トップ。現役で東大法学部合格。駒場在学中に司法試験も合格(当時の全国最年少記録)して 自治省(今の総務省)にもトップで入ったらしい。(その後 どこかの県の副知事をやり 最後は保守党から出馬して参院議員にもなった) それは… 兄弟で比較されたら たまらないだろうなと思った。秀才とは聞いていたけれど よく我慢できるなと。 ある時 Iにも訊いてみた。しようがないよ、頭の出来が違うもの。いつものおっとりした口調だったが 流石に苦しい顔をしてIは少し俯いた。彼も教室にいるだけでは 居心地の悪い男なのだな、初めて私はそう思った。だから一人でやってきて 私に話しかけてきたのだ。私よりはずっとクラスに打ち解けて 友だちもそこそこいたのだが 心も体ものびのびと暮らせる場所は たぶんこの階段下しかない、Iもまたそういうタイプの男なのだろう。 ☆二年生になると 秋の文化祭の展示は 一切われわれに任された。何をやってもいいけれど ほとんど使える金は無い、三年は一切手伝わない。準備は手付かずのまま時間だけが迫ってきて、仕方がないから 私が最近作を巡っていい加減な映画評を書き 手に入れたスチール写真を添えて模造紙に書き写した。けれども ひと教室丸々のスペースを与えられていたから これだけではもちろん壁は埋まらない。どうしよう 格好がつかない。見に来るだろう女子校の連中にも 舐められること必定。ひとりで頭を抱えていると、いいよ 俺も何か書くよとIが言ってくれた。その通り、翌週には 展開図入りの 立派な映画カメラの仕組み解説が作られていた。やる時はやるんだなあと私は感心した。一眼レフとかさ、もともと好きだから。それだけだよ、大した内容じゃあないよ。 大丈夫だ これで展示の体裁がついた。三年生にも見物客にも恥ずかしくない。私はとても嬉しかった。 ☆三年の文化祭が 中ではいちばん思い出深い。今度は体育館を借りて 黒澤明『天国と地獄』の上映会を 土日の二回やった。16ミリ版だけれど きちんとスクリーンに映せば 普通の映画館で観るのと大差ない。機械操作の得意なSが映写技師を引き受け、椅子を並べたり暗幕を引いたりは班員が総出でやる。映画は公開されて未だ二年ほどだったし、なにしろ新人の山崎努が 貧困に苦しむインターンの誘拐犯人役をやって大当たりを取ったクライムサスペンスの傑作だった。なかでも 犯人逮捕の鍵となるピンク色の煙が 作中ただ一箇所 カラーで立ち昇るシーンが圧巻だった。何度見ても その俯瞰シーンで誰もが息を呑んだ。 体育館の無料上映会は大成功だった。満足して帰ってゆく観客の顔を見れば それはすぐに分かった。 途中 ひとつだけ青くなったことがあった。犯人が 新たな犯行(口封じ)用に高純度のモルヒネを求めに行くシーンで、フィルムが突然ブツリと切れてしまったのだ。いきなり 体育館は真っ暗闇になってしまった…。えらいことになった、途中の山場だけれど ここは正直に理由を告げ謝って 散会にするしかないかと 私はほとんど腹を括った。ちょっと待って、Iが低い声で私を止めた。Sは器用だし 機械のことはよく分かっている。もう応急処置を始めてるから…たぶん直せるよ。 本当にそうだった。時間は10分ほども掛かったけれど フィルムは無事に繋がって そのまま最後まで上映できた。大汗(冷や汗)をかいて上映を終えたわれわれに 沢山の観客は拍手さえしてくれた。IとS、この冷静沈着な二人がいなかったら あの年の上映会は大失敗で終わっていた。 ☆大仕事だった上映会も終え、あとは各班対抗の演芸会がプログラムに残っていた。いちおうエントリーはしていたけれど 実際出るか出ないかは上映会が終わってから、その程度の含みだった。無事に後片付けも終わり 全員でサイダーで乾杯した。アクシデントも色々あったけれど なんとか乗り越えてみんな気分が高揚していた。いっちょう最後に歌おうか そんなノリだった。助っ人で アコースティックギターを抱えて何回か練習に付き合ってくれたTくんが 嬉しそうに立ち上がった。 会場の演武場に行き やがて順番が来て 映画班は三年生が六七人 ギターの伴奏だけで『若者たち』を歌った。Tくんのギターは前奏から心がこもっていて 練習の時よりずっとheartfulだった。肩を並べたみんなの気持ちが和んで 気持ちの良いハーモニーになっているのが分かった。こうなればと、打ち合わせにはなかったけれど ソロのところを私が進み出てこなした。 KZ よかったよ! 進んで歌ってくれたからさ うまく盛り上がったよ、終わってからT くんも嬉しそうだった。薄暗い観客席には 他校の生徒たちも沢山いて拍手してくれた。 もちろん何の期待もしていなかったのだが 突然 銀賞は映画班の『若者たち』(ザ・ブロードサイド・フォー)と 司会の女の子が読み上げた。嘘だろうと思ったのだが 賞状を取りに来てくれと呼ばれて 仕方なく もう一度ステージに上がった。…わけわかんないけど まあ どうもありがとう… ☆年間通して、われわれに失敗はいくつもあった。夏休み前には 公民館の広間を借り切って徹夜でナポレオン大会をした。夢中で手札に興じていたら 知らぬ間に夜が明けていて、早起き会のじいさんばあさんが大勢やってきた。高校生が酒盛りをしていたとか 女の子もいたようだとか濡れ衣まで着せられて 大騒ぎになってしまった。始末書は私が書いた。 夏休みには撮影会と称して みんなで尾瀬に登った。男ばかりの楽しいキャンプだったけれど 帰り道は疲れ切って 登り口の沼田駅に借り物のテントを置き忘れてしまった。これも 翌日私が引き取りに もう一度沼田駅まで出向いた。夏の小遣いを使い果たして、帰りの車中は泣きたくなった。思い出せば こんなドジばかり踏んでいたのだ。 ☆『サウンドオブミュージック』 『007 殺しの番号』 『ロシアより愛をこめて』 『アラビアのロレンス』… 。映画班は市内の映画館の学生割引チケットも 部室で扱っていた。対価は ほぼ部員分の無料入場券。へんてこな話だけれど。われわれの在学中に扱って よく売れたのは こんなラインナップだった。(『…殺しの番号』は ショーン・コネリーがJ.Bond を演じたシリーズ第1作。最初はB 級のスパイ映画ということで、『大脱走』だったか『史上最大の作戦』だったかを観ると おまけでみられる併映という扱いだった。けれども 実際観てきた人たちは異口同音に ボンドの方がよっぽど面白かったと 興奮気味に語ったものだった。) ☆最後の文化祭が終わると 本格的に「試験」の季節がやってきた。志望校がそれぞれ決められ それに従って各人の受験科目も絞られる。きっと受かるよ、KZ 。Iが励ますように言ってくれた。受からないよ。俺はいつでも成績不安定で 大波だらけ。たまにツボにはまった時だけ掲示板に名前が出る、それだけだからさ。あとは胸の中で繰り返す。平均すれば…やっぱり受からないな。それは自分がいちばんよく分かっている。 俺は慶應受けるよ Iが淡々と言った。いいのか 最初から私立だけで? 大丈夫 親ももう諦めてる。無駄なことは しない。出来の良いのは 兄貴だけでいいって。いくらか寂しそうだったが 彼の目はその時も柔らかく和んでいた。 あそこは 数学もあるな。うん、でもあれくらいなら…俺でもいけると思う。 優しくて良い人間なのは 弟の方だよ。口には出さなかったけれど まる三年間付き合って それは私にも確信があった。
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