投稿者:管理人
先日、城郭を結んだ方位ライン(図2)を紹介した際に、かなり前に明智光秀に関連して作成したものも同時に紹介しましたが、そのラインを再度城郭メインで整理して作成しなおしたのが図1となります。
ここでは、まず小田原城を起点としたものとして、小田原城⇔名古屋城⇔安土城への東1度偏角の東西ラインがあります。
同じく、小田原城⇔新潟城への西1度偏角の南北ラインがあり、また小田原城⇔富士山⇔福井城への東20度偏角のラインもあります。
同じく、小田原城⇔忍城⇔若松城への東74度偏角のラインも見られます。同じく、小田原城⇔岡崎城⇔大阪城への東10度偏角のラインもあります。
なお、小田原城⇔江戸城への東40度偏角のラインにも留意しておくべきでしょう。
次に駿府城を起点としたものとしては、駿府城⇔岡崎城⇔伏見城への東1度偏角の東西ラインがあり、同じく駿府城⇔富士山⇔忍城への東50度偏角のラインもあります。
次に江戸城に関するものとして、江戸城⇔名古屋城⇔二条城への東11度偏角のラインがあります。
あと、以前もお知らせした明智平⇔明智城⇔本徳寺・岸和田城への東34度偏角のライン、若松城⇔明智平⇔富士山への東65度偏角のラインあります。
その他、福井城⇔忍城への東1度偏角の東西ラインにも留意しておくべきでしょう。
全体的に東に1度軸を倒した測量をしていることも、この時代の測量の特徴としてみえてくるかもしれません。
先日のラインとあわせて、これらの城郭を結ぶラインが作成された年代を推定する必要がありますが、そのはじまりは14半ば頃に多く、次いで15世紀中頃、そして16世紀末が多いように見えます。
東からいくと、下記のようになります。
若松城 1384年 蘆名氏
水戸城 建久年間(1190年 - 1198年) 馬場氏
忍城 文明年間(1469-87)成田氏
江戸城 1457 太田氏
小田原城 15世紀 大森氏
新潟城 1581年 新発田氏
前橋城 15世紀末 長野氏
駿府城 14世紀 今川氏
浜松城 15世紀 今川氏
岡崎城 1452 西郷氏
富山城 室町時代前期 神保氏
名古屋城 大永年間(1521年 - 1528年) 那古野・今川氏
明智城 1342年 明智氏
福井城 1338 斯波氏
安土城 1576年 織田氏
伏見城 1592年 豊臣氏
二条城 1350年 斯波氏
大阪城 1583年 豊臣氏
岸和田城 15世紀
和歌山城 1585年 豊臣氏
岡山城 正平年間(1346年 - 1369年) 名和氏
広島城 1589年 毛利氏
熊本城 文明年間(1469年 - 1487年) 出田氏
その築城に関わった室町時代初期(14世紀半ば)の氏族としては、斯波氏が関わっていますが、足利将軍家から分かれた武衛家・屋形・陣として斯波氏が各地に拠点を構築していく途上で、これらの初期の城郭を構築していったのではないでしょうか。
特に斯波氏の武衛陣があった二条城あたりを起点として、また富士山を絡ませながら城郭を結ぶこれらのラインを構築していったようにみえます。
その後、小田原城・江戸城・駿府城あたりを15世紀半ばに太田氏等が構築し、それを元に、戦国時代末期に織田・豊臣氏が城郭を構築していったように見えます。
その城郭の位置測量、構築技術の伝播については、また足利・斯波氏の配下にいた技術者集団を確認する必要がありますが、その件はまたの機会に。