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投稿者:KZ
木山捷平(1904〜1968年)は二十数歳で岡山県の山間の実家を離れ あとはほとんどの時間を東京での作家暮しに費やした。途中満州(長春)で数年間、また復員後に数年間を実家で過ごしているが、基本は東京の西部、杉並や練馬で家族とともに長く住んだ人であった。 今彼の散文作品を読んで 古い題材だ、なんと古ぶるしい文体かと思うのが一般だろう。私などでもそう感じるのだから 若い人には尚更そうだろう。主人公たちが「日本のオヤジ」の原像、残像と称されるのも ごく当然のことだと思う。 ただ こうした形容には すこし言葉が足りないようにも感じる。「ある時期の」、ということである。この国が未だに農業国として自立できていた時代の農家のオヤジ というのがこの作家の根底をなすエートスであった。 今木山捷平を読んで、大小様々な窮境に立たされた時でも、不思議なほどに自然な余裕や諧謔、精神(心持ち)の清浄さを醸し出す主人公(たち)のあり様に 読者は次第に惹かれてゆくのではあるまいか。その根底のたくまぬ強靭さは いったいどこに由来するものなのか、おそらくそれが この作家を読み解くキーなのだと思える。 未だ第一次産業(農林水産業)が生命力を持ち この社会の中軸として屋台骨を支えていた時代。農民も漁民も たとえ日々の金銭収入は乏しくとも、その精神はけして弱々しいものではなかった。自力で田畑を丁寧に耕し 牛馬を使いこなし 農具諸般も家畜小屋や自宅さえも自力で賄い差配した強固な独立性、そうした自立の力と精神とを 程度の差はあれ人々は普通に蓄えていた。日々のきつい労働に鍛えぬかれたその動かぬ勁さこそが 例えば木山捷平の表現をも根底で支えていた精神なのだった。けれんみの無い率直さ、臆することのない清廉が いつもその作品の背骨を貫いている。 若き日の盟友だった太宰治には、当代で比べようもない溢れんばかりの才能があり 混迷する情況を見抜く鋭い知性と思想性があった。作品を読めば それは疑いようもないことだ。しかし彼には、その根底の感性(こころ)は梃子でも動かないという木山捷平の持つ自然の勁さが欠けていた。津軽地方有数の大地主の子息には そうした中下層農民(常民)の持つ 土を舐めても生きぬけるという強靭さや精神の自立、そこから生じる心の余裕や諧謔などは保ちようがなかったのだと思える。 ………
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