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投稿者:仲井
超連続投稿、大変失礼します。最近は小生単独投稿で誠に申し訳ないです。地震からの復旧復興はまだまだですが、それでも少しずつ、本当に少しずつですが、温かい支援のお陰で進み始めているように思われます。有難いことです。 皆さんの日常なども、またお聞かせくださいね。 さて、いよいよ北陸新幹線が敦賀まで延伸されます。福井県に新幹線が届くまで、実に計画から50年近く掛かりました。北陸と関東圏とは確実に緊密になることでしょう。一方で関西圏や中京圏とは、これまでのサンダーバードやしらさぎなどの特急一本で行けたのが敦賀乗り換えとなり、ちょっと足が遠くなるような気がします。一つの列車に乗っている人が全員敦賀で降りて、一階から三階の新幹線ホームに大半の乗客が乗り換えをすることは、果たしてどうなのでしょうかね。ホームの反対側で新幹線が待っているのならまだしも、荷物をもってエッチラホッチラ移動するのは大変だと思いますし、特に年配の方にはキツイと思います。年配の方になりつつある私も、ちょっと二の足を踏みますね。JRの机上の計算では乗り換え8分。でも実際はその倍は掛かるとも言われていますが、さてどうでしょうか。 しかし大阪や名古屋始発で北陸本線に乗り入れていた数々の長距離列車には、本当に沢山の思い出がありますね。急行立山、急行ゆのくに、寝台急行北国、特急雷鳥、特急白鳥、特急しらさぎ、特急加越、特急サンダーバード、寝台特急日本海、トワイライトエクスプレスなどなど。実際に乗ったことがないのは寝台列車の北国や日本海、それにトワイライトエクスプレスだけで、あとは全て乗りました。 学生時代のことを考えれば急行立山、特急雷鳥、特急白鳥が思い出深いですし、卒業後はやはりサンダーバードでしょうか。京都駅がまだ改装前のオンボロホームで、金沢に帰省する時の列車待ち、ウォークマンか何かから好きな音楽を、それこそ録音したカセットテープから聴いていましたね。当時はスマホはおろか携帯もない。ポケベルぐらいはあったかもしれないけれど、連絡手段は手紙やハガキ、公衆電話ぐらい、そんな時代でしたからね。今から考えれば、よくやっていました。でもね、あの硬い、ホームの木製ベンチが、今は本当に懐かしく感じます。 同級生の北海道の村上君は敦賀まで雷鳥で行き、その後敦賀から苫小牧か小樽かまでフェリーで行き、そのあとディーゼル列車などを乗り継ぎ実家の芦別まで帰省していたと聞きました。帰省は彼にとっては一大旅行だったとようです。彼もどうされているかなぁ。あの笑顔がまた懐かしいね。 金沢行きの特急列車の客筋は大きくわけて四種類。まずビジネス客、ほとんどの方が恐らく繊維関連の総合商社だと思われましたね。次が観光客。慰安旅行で加賀温泉や芦原温泉などに行く団体。だいたい既にビールか何かを呑んでいて、真っ赤な顔で酔っ払っていたオッサンやオバサン達でした。三番手は私達帰省客だったかな。そして宗教関係で、浄土真宗か曹洞宗の信徒さんかお坊さん達とも乗り合わせように思います。これらの人達がひとときの時間を同一列車で乗り合わせたわけです。 だんだん時代が便利になりながらも、何故か不便で仕方がなかったあの時代を懐かしむのは、やはり年を食ったせいでしょうか。 写真は金沢からのラストランの、サンダーバードとしらさぎです。撮り鉄さんからの頂きものです。
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