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投稿者:坂本彰
アオテンナンショウ Arisaema tosaense Makino 5月から6月ごろ、山地の林内に生え、仏炎苞が淡い緑色で、その先端が糸状に長く伸びて垂れる特徴から、識別が難しいテンナンショウ属の中では他の種と容易に識別できる種です。 高知県ではほぼ全域で分布が確認されており、普通種のように受けとめていましたが、全国的な分布を見てみると岡山県、瀬戸内海、四国、大分県と分布が限られていて、牧野富太郎がtosaenseとしたことも納得できます。 論文では牧野富太郎が横倉山で採集したもの2点、仁淀川町泉で採集したもの1点が引用されており、そのうち横倉山産の標本の一つの採集日は1887年6月4日です。 現在「らんまん」で展開されている時代とほぼ同じころに採集された標本になります。東京での石版印刷技術の習得、植物学雑誌の発行、佐川の祖母の死、壽衛との結婚など富太郎にとっては激動の時期においても、標本の採集は怠りなく行っていたようです。 ※ 牧野植物園発行の「牧野富太郎と植物画展」に掲載されている牧野富太郎略年譜によると、石版技術を習うのが1886年、植物学雑誌の創刊、祖母浪子の病死が1887年、壽衛と世帯を持ったのが1888年になっています。 牧野富太郎の記載論文 1901年発行のB.M.T 植物学雑誌第15巻176号 Observations on the Flora of Japan.  の130ページ https://www.jstage.jst.go.jp/article/jplantres1887/15/176/15_176_124/_pdf/-char/ja
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