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投稿者:鋭利庵
第四の感色層という考え方もさることながら、その発想を折り込みながら リアラも、後のSUPERIA400も現像処理は従来のままC-41だったというのは 目立たない高度な技術だと思います。 その高い化学の知識と技術は薬品や化粧品の分野に応用され、活用されて 写真フィルム以外でも実績を上げています。 リバーサルフィルムでしたが、コダックは独特の発色で人気のあった外式 現像コダクロームを残さねばならずE-6と並行する不経済を通さなければ なりませんでした。 ネガカラーフィルムも、私は関わりませんでしたが知る限りN100シリーズ からの切り替えという大転換がありました。 詳細はわかりませんが温度や処理剤の管理がたいへんだったのでしょう。 その頃はまだミニラボと呼ばれた販売店の店頭処理はなく、お店で集めた ユーザーの持ち込みフィルムを基幹現像所で一括処理するシステムだった ため、お店に依頼してからプリントを手にするまで数日かかるのが普通で 「そういうもの」として受け入れられていました。 個々のお店が機械を導入して即日仕上げが可能になったのは。C-41処理に なってからだったと思います。 それでも最初の頃はフィルム現像機もプリンタも箪笥より大きいくらいで 処理時間も合計すると頑張って最短一時間はかかりました。 やがて高温短時間で処理ができるように改良されると機械も小型になり、 処理も三十分を切るようになっていきました。 同時にレンズも単焦点からズームへ、印画紙もマガジン装着で途中交換や 切り替えが比較的容易にできるようになり、大きめのサイズもお店で待つ 間に仕上がる利便性の高いものへと充実して、光源がハロゲンランプから レーザー露光になりデジタルデータのプリントまで可能になったのが最終 形態でした。 化学反応を要するフィルム現像は変わりませんが、プリントは今や現像を 必要としないドライプリントが一般的になっているはずです。 コニカやコダックのデジタル対応の出遅れはカメラだけではなくプリント 工程にもあったと言えるでしょう。なんとかオプションで対応しようとも したものの、デジタル技術も体力もそこまで追いつけなかったようです。 コニカもミノルタもコピー機では高い技術力はありましたし、デジタル化 まで至りましたが写真に関しては応用できないものだったのでしょう。 フジ独自の撮像素子と現像処理は「活かしながら適度に抑え込む」のだと 考えます。ユーザーに見えない部分ですが撮像素子が違えばRAWデータの 内容も大きく違っているでしょう。単純に考えれば緑色の対応ピクセルが 多いぶんだけ情報は偏りますし、それを補いつつバランスを取って出力を しなければならないことになります。 RAWデータとしてユーザーに提供されているものはある程度バランスを取り 扱いやすくしているかもしれません。 コニカにも副次的な面白いフィルム製品があったけれど  鋭利庵でした
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