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投稿者:KZ
短編 『サンキュー・ベリー・マッチ』 木山捷平  『暢気な電報』所収 (2016年 幻戯書房刊)         初出 週刊文春 昭和35年1月11日号 ☆木山捷平には 全集(新潮社版、講談社版)に収録されていない短編作品やエッセイ、紀行文などがかなりある。 それらを拾いだして出版したうちの一冊がこの『暢気な電報』。 「軽い作品」ということで 二度の全集からははみ出したのだろうが、この短編も同様、読んでみれば、手抜きとか力を抜いて書かれているなどと言うことは まずない。そういう芸当はそもそもできない 不器用な作家だった。なんであれ 書けばとにかく正直に想いの地金が出てきてしまう 根っからの表現者だったということになるのだろう。 だから 便宜上ジャンルを分けて、というふうに出版されているけれど、それはほとんど意味がない、とりあえずの分類ということになる。 ☆ある日 主人公の「私」は 書きかけの小説のことなどを思いながら 近所の畑道に散歩に出かけた。煙草を吸いながらぶらぶら歩いていると 向こうからやって来た荷車とすれ違った。引いているのは 後ろに大きな木箱(紙屑入り)を積んだ屑屋で、未だ十七、八歳くらいの若い男だった。すれ違いざま ちょうど空になった煙草の箱を 主人公は何の気なしにポイと彼の屑箱に放り込んだのである。 いきなり その若者の顔色が変わった。どうやら朝鮮人らしかったが 勝手にゴミクズを放り込むなと彼はいきり立った。 そんな気ではなかった すまないと何度も謝ったのだが、若い屑屋は次第に激昂して ついには三四尺もあるような鉄の棒を持ち出して主人公に迫ってきた。むろん こんな屈強な若者に 素手の中年が敵うわけもない。やむなく主人公は必死の思いで家までの道を逃げ帰った。 戻ってもいつまでも動悸が治らず やむなく焼酎を飲んでいると、かつて満州国・新京で 同じように貧しい風態の朝鮮人の若者を 関東軍の生意気な(鼻持ちならない)青年将校が思うさま殴りつけた光景を主人公は思い出してしまった。もともとは市電に無銭乗車した若者に非があったのだが、それをいいことに たまたま居合わせただけの将校が執念く若者をいじめ 殴り続けた。「お前は日本人だろう それがこんな面汚しをしていいのか」と。もちろん 強制併合下の朝鮮の青年だと分かっていて そう責めるのである。 「まあ、そのくらいでいいでしょう」と 機を見て主人公は将校を宥めたのだが、その口調からおそらく若者は 自分のことも「日本人」のグルだと感じたことだろう…。 先刻の畑道の青年の憤りから 彼にはそんな重苦しい思い出さえ蘇ってくるのだった。 しばらくすると たまたま 今度は中年の女性の屑屋が家に立ち寄り 古新聞を買いがてら しばらく主人公の飲み話に付き合ってくれた。自分もかつて満州国・新京で屑屋をやっていたのだ、懐かしいことだ。小母さんも これでずいぶん稼いだだろうね などと。 ひとりに帰り やがて日も暮れて来たが 焼酎を飲んでしまって すぐには仕事にもならない。主人公はもう一度外に出て 怖いもの見たさのように 昼間の畑道を辿ってみた。 濃い夕闇の迫る中 今度出会ったのは 畑の奥で逢い引きしている一組の男女の姿だった。何気ないように横目で通り過ぎ しばらくして同じ道を引き返すと、先刻のランデブーのどちらかが吸っているらしい煙草の火が 畑の奥でなんとも美しく灯っているのだった… ☆『…なんだか人ごとならず私の胸はあたたまって、再びその場所まで戻ってきた時、よく田舎の人たちが夜道でするように、 「今晩は。どうぞ、ごゆっくり」と私は声をかけてしまった。 声をかけて、私ははッとした。こっちは悪意でしたことではないが、昼間のように、この一語がとんだ禍をもたらしはしないか、といった危惧にかられた。 が、私の声をきくと男の方が女に何かささやくのがきこえた。するとその男の声に応じて女の方が男に何かささやくと、 「オー。サンキュウ、ベリマッチ」 と男が叫ぶような快活な声で、私のかけ声に応じてきた。 どうやらさっきの囁き声は、女が男に通訳していたもののようであった。 私はほっと胸をなでおろした。この返事一つで、今日一日の頭のもやもやが吹っ飛んだような、人間らしい気持がよみがえってきた。』 ………
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