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投稿者:とんちの写真館
おはようございます。 文永11年(1274)3月、流罪を赦された日蓮上人は佐渡から鎌倉に帰ったが、その後、甲斐国河内の豪族波木井氏の庇護を受けて身延に草庵をつくることになった。その合間に、上人は会の逸見(へみ)筋から武川筋の村々を巡錫(じゅんしゃく)した。下蔦木(当時は甲斐領・籮木郷)に立ち寄ったのはこの時である。伝承によると、当時村には悪疫が流行し村人が難渋していたので、上人は三日三晩この岩に立って説法とともに加持祈祷を行い、霊験をあらわしたという。その高徳に村人はことごとく帰依し、真言宗の寺であった真福寺の住職も感応して名を日誘と改め、日蓮宗に改宗したといわれる。また、このとき上人が地に挿して置いた杖から蔦の芽が生えて岩を覆うようになったとも伝えられる。その後、日誘はこの高座石の傍らにお堂(後に敬冠院と呼ばれた)を建てて上人を祭り、近郷への布教につとめたという。(甲州街道より転記)
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