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郷土史家としてがんばっている同期の西村修一君の記事がローカル紙に掲載されていたので紹介します。同期のがんばりは嬉しいです。 【山口県】ハワイからカミスギ・ファミリー 龍文寺で神杉一族と再開 西村さんがルーツ探して 3/15(水) 12:56 山口県周南市長穂の龍文寺(中村俊孝住職)に13日、ハワイから日系のカミスギさんの一家9人が訪れ、長穂の神杉道雄さん(74)の家族や親せき11人から大歓迎を受けた。櫛浜の郷土史家の西村修一さん(68)がカミスギさんのルーツをたどり、郷土史の史料と突き合わせて、龍文寺との縁も深い長穂の神杉さんと同族であることを突き止めた。 始まりは2019年9月、市観光交流課から西村さんへの「旅行代理業の人が陶氏に詳しい方を探している」という連絡からだった。陶氏は守護大名、大内氏の重臣で周南地域を治めたが、毛利氏によって滅ぼされた。ハワイから陶氏の子孫という伝承を持つカミスギ・ファミリーが来日するという。 西村さんは陶氏が築いた若山城や陶氏ゆかりの社寺を案内する予定だったがこの時はコロナ禍でツアーが中止になった。そして3年後の今年1月、日本ツアー再開の連絡があった。ところが、カミスギ・ファミリーは移民の3世から5世なのだが、出身地がわからないとわかり、西村さんは調査することにした。 西村さん 「神杉」の姓は全国にあるが、山口県、とりわけ周南市に多い。2010年版の電話帳を見ると市内に28軒。陶氏ゆかりの龍文寺のある長穂から電話をかけてみると2軒目に「親族にハワイに渡った者がいると聞いたことがある」という人がいた。 西村さんは周防大島町のハワイ移民資料館の資料から、明治20、30年代に山口県からハワイに渡航した神杉さんが7人いたことをつきとめた。渡航した時期が近い人もおり、同じ一族であることも推測できた。 ハワイのカミスギ・ファミリーもルーツ探しをして1世、2世の氏名がわかった。1世の氏名が山口県から渡航した人の氏名と一致。「防長風土注進案」や地方史の研究誌に掲載されていた陶氏ゆかりの神杉家の記述からその子孫がハワイに現存するという記述が見つかり、その氏名が2世の氏名と一致した。陶氏ではなく杉氏の子孫だった。 更に、神杉家に今も管理し、かつては県指定文化財で陶氏追悼のために踊った長穂念仏踊の衣装などを保管していた宝物殿がハワイに渡った人が資金を出して建てられたという情報も得られた。その家の当主が神杉道雄さんだった。 430年前の祖先の墓と対面 祖先の墓参り 13日は前夜の雨も上がって青天。新幹線で広島から徳山駅に到着したカミスギ・ファミリーの9人はマイクロバスで龍文寺を訪れ、神杉さんの家族ら11人が迎えた。一緒に本堂に入り、中村住職(78)による両家の繁栄や旅の無事への祈りを込めた読経に聞き入った。中村住職は神杉家と龍文寺の深い関係も話した。 続いて同寺にある神杉家の墓に参った。カミスギ・ファミリーは「天正17年(1589)」の年号が入った神杉家の祖先、道円の墓などに見入っていた。その後、宝物殿も訪れた。午後は市役所を訪れてハワイに渡った一世の戸籍も見つけることができた。 カミスギ・ファミリーは20年前、40年前も龍文寺を訪れていたが、当時は陶氏ゆかりの寺として訪れたため、神杉家との関係はわからなかった。神杉さんは「今回初めてわかった。交流できてよかった」と笑顔。三世のアーサー・カミスギさんも「感動しました」と喜んでいた。両家の間を取り持った西村さんも「こういうことになるとは思いもかけず、祖先の配剤ではないか」と話して驚いていた。
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