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投稿者:鋭利庵
「必要は発明の母」という言い回しがありますが「横着は発明の父」だと 思っています。母親だけで生まれることは滅多にありませんし、親父の脛 ばかり齧っていると自分で創り出すことができなくなります。 言語も含め音声や視覚情報などは意図的に記録しない限り現れては消える 諸行無常なのが本来の姿でしょう。伝えるために記録が必要な場合もあり ますが、途中で多少の味付けがあったとしてもメディアを介さずに伝わる 口伝や、百聞は一見にしかずという言葉のとおりオリジナルに触れるのは なによりも間違いのない情報源のはずです。 アイヌ文化には文字がないというのをどこかで読んだ記憶があります。 口伝で受け継がれますが、記録すると忘れてしまうというのが理由とか。 なるほど、なんでもググれば知ることができる現代ですが、それで触れた 情報はそのときは身につけた気になりますが、いつでもアクセスできると 思ってしまうと、意識しないと脳裏に焼き付くことは少なくなります。 ワープロが普及して以来「読めるけど書けない」が増える一方です。 PCの普及からインターネットは拍車をかけ、携帯端末で加速しています。 コンピュータプログラムでは一定のルーチンを部品として用意し、必要な 条件のときに引っ張ってくることでソースを簡略化する方法があります。 人間の動作においても有効な場合がありますが割り込みや想定外の新規に 弱いという弱点があります。 習熟は応用も効きますが慣れはちょっとしたトラブルに適応できません。 しっかりお勉強して、知っていることや使えるものは増えても応用したり なにかを創り出す知識欲や好奇心が衰えているのが現代かもしれません。 どれだけの知識があっても、知らないことはそれ以上にあるはずです。            いつも触発されたり触発したい  鋭利庵でした
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