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投稿者:クレイジー・ユンカース
 こんばんは。クレイジー・ユンカースです。月半ばです。ユニクラフト72のウラルボマーJu89は爆弾倉の構築を終了しました。2014年1〜9月の作業後、昨年の12月から製作を再開しています。  左の写真はその爆弾倉の穴を胴体に開けているところです。まず1ミリのドリルで並列に穴を開け、その後今度はドリルをやや斜めにして横にずらし「壁」を突き破ります。ドリルにはあまり良くない工法ですが1ミリドリルなら耐えられます。ユニクラフトキットの構造が分厚いのが見て取れます。開口済みの穴の奥には少しだけ白いものが見えますが、これは胴体を貫通する「桁」で当初、普通に主翼付け根を接着するつもりだったので胴体側面に突き出る貫通桁を作っていました。しかし製作再開にあたり、付け根で主翼のマグネット着脱を行うことにしたので桁は突き出し部を削って穴塞ぎに埋め込んでいて、奇しくもこれが爆弾倉の底として役立ちました。これが無かったら胴体の奥の方に爆弾倉の底部を構築しなければならず厄介だったところです。因みにその後、主翼のマグネット着脱位置は内翼端に変更しています。  真ん中の写真は閉状態の垂直爆弾倉です。6月30日分にお見せした脚の写真に写る爆弾倉とおぼしきものの発見によって、1月31日に書いた推定位置から変わっています。この写真の存在意義は誠に大きいものがあり、これで爆弾倉の位置と形式はほぼ特定できました。特徴的なのは割と胴体の後方の、しかも主翼の付け根寄りに位置していることで、形式はJu86と同じに見えます。残る問題はその規模でしたが、赤い洋書サードライヒは爆弾搭載量の記載で、86は1760-lb(800kg)、89で3520-lb(1600kg)としています。従って、両機の設計者であるエルンスト・ツィンデルは89の爆弾倉は86のそれを単純に並列し、真ん中は前後部を行き来する通路としたのだろう、と推察します。因みにサードライヒの透視図を信じれば、86では中央に爆弾倉を置いて左右に通路を設けているようです。  右の写真は構築した爆弾倉パーツのオンパレードで、左横に置いてあるのはイタレリ72のJu86E1/E2で、爆弾倉の開口部が見えます。閉状態の爆弾倉扉は1x1x1のマグネットで着脱、開状態の扉は0.3真鍮線の差し込み式です。内部の仕切りはSC50、50kg爆弾一発用を0.3ミリプラ板で構築し、セルは全部で32個なのでこれで1.6トンです。ただ、作るのはV1で、試作機なので爆弾は積み込みません。  このセルの製作は大変手間で、初めは「箱」を四つ作って穴に嵌め込もうと思っていたのですが、穴の中の仕上げが荒くて素直に入りそうもなく、内部を整えようとすると穴の縁を工具で傷つけかねません。そこで箱方式は諦め、まず底用のプラ板を下ろして接着し、四方の側壁は現物合わせで一枚一枚、閉状態の扉を埋め込む余白を確保しながら作ってゆきました。そのあとは同様にセルの隔壁を加え、終わったら今度はマグネットの接着です。マグネットはまず片方を接着し、これにくっつくようにもう片方を接着しますがこれが難しく、そもそもいくつか買った消磁性のピンセットが実際は「弱磁性」で、要するにマグネットがくっつきます。踊るマグネットと格闘しているとくっつき面がわからなくなってまたその確認からやり直し。血管切れそうになるところをユンカース愛で耐え、解決策はマグネットに瞬間をつけて上記の弱磁性ピンセットで位置決めをしてくっつけたら、固まるまでの押さえを左手の爪楊枝にバトンタッチすることでした。  それにしても巨大な爆撃機なのに、搭載量や爆弾倉の規模は小さめです。しかし、89は86のように透視図がないので分かりませんが、このトドのように太い胴体の中には本機をウラルボマーたらしめる巨大な燃料タンクが鎮座していたと思われます。機首と胴体後部の行き来のために爆弾倉に合わせてタンクも左右に分けていたのかはもう知る術はなく、ツィンデルが1978年に没する前に聞いてみたかったところです。尚、胴体下面の翼後端を横に走るのは胴下貫通フラップの線です。  しかし来年2024年のカレンダーはこのJu89V1の単独ステージなのですが、なかなか頭痛の痛いところです。というのは2022年もJu488だけでしたが作例は異なった模型メーカーで塗装も異なる四機が居ました。2023年も同様でJu288V5、Ju288V103、Ju288C、そして実験機であるJu88V5も居ました。それに対して2024年はDo19を断念した今、正真正銘の89一機。しかも試作機なのでフォトショを使って増殖・レタッチでの編隊飛行(変態非行ではありません)をさせるわけにもゆかず、では随伴機かといっても最適なのは89と一緒に写った写真のあるJu88の試作機なのですが88の試作機なんてそもそも改造キットさえなさそうで、あっても作る時間があるか大いに疑問です。Ju89V1だけで例年と同じ表紙を含め13枚の写真をどう撮るか、考えどころです。  まあ、唯一考えられるのはV2とのフォトショ編隊飛行です。赤い表紙のサードライヒによればV1は1936年12月、V2は1937年初めに初飛行していて編隊はあり得ますがV1にV2との二役をさせることができるのか?区別はコードレターがV1はD-AFIT、V2はD-ALAT。形態的にはV1が拡大ラダーと内翼のみにナセル下オイルクーラーインテーク、V2は通常ラダーと全エンジンナセル下にインテークとして、これらはなんとかなるにしてもエンジンが異なり、V1はJumo211、V2はDB600で外見が少し違います。とするとエンジンは着脱式なので600エンジンも作るか?となってきます。
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