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投稿者:具志 有芳
回想録「日本一周海岸線の旅」 足摺岬から宇和島、八幡浜、下灘駅、松山まで 2013年10月31日朝、土佐くろしお鉄道、中村駅前のシティーホテルを出てから国道321 号線を南下して四国、最南端の足摺岬に向かった。 ここには足摺岬を見下ろす丘の中腹に、境内120,000平方メートルを誇る、弘法大師の理想の聖地、「四国八十八箇所霊場、第三十八番札所金剛福寺」がある。 仁王門をくぐり中庭に入ると、正面にどっしりとした本堂と土佐五色石を配した美しい石庭が目に飛び込んできた。緑の山々に囲まれた静かな佇まいの金剛福寺は、弘仁13年(822年)に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が「三面千手観世音菩薩」を本尊として建立した寺院で、境内には大きな池があり、鏡のような幻想的な水面(みなも)には正面に建つ本堂や大きな自然石を削って作られた多宝塔、十三石塔などの美しい景色が映しだされていた。 境内には大師堂、愛染堂、弁天堂、鐘楼堂など歴史を感じさせる多くの建物があり、本堂裏手には光背(こうはい)を背にして蓮の花の上に座られた数々の美しい観音菩薩坐像が錦秋の陽を浴びて、優しい笑みを浮かべているように見えた。 広い金剛福寺の境内のほんの一部ではあったが、ゆっくりと拝観した後の帰り道、朱色に塗られた名刹の仁王門の前で立ち止まり、先ほど歩いてきた、つま先上がりの石畳の道と石段を、改めて眺めると、その先にある白亜の足摺岬灯台と、切り立った断崖に白く砕け散る波しぶき、そしてどこまでも続く蒼い太平洋の大海原を望むことができた。 金剛福寺を出てからは途中、足摺岬郵便局に立ち寄り、局印と風景印を押印してもらった後、「足摺宇和海国立公園」内の足摺サニーロードの海岸線にある景勝地。打ち寄せる波や激しい風の浸食作用によって形成された奇岩が織りなす壮大な風景の「龍串海岸」と、どこまでも続く広大な太平洋を左の車窓に見ながら宇和島に向かって車を走らせた。 JR予讃線 宇和島駅には午後2時半頃に着いた。駅前には間口を広くとった宇和島名産品の即売所があり、店先の冷蔵ケースには山積みされた新鮮な蒲鉾、手作りじゃこ天など、宇和島を代表する食料品、そして沢山の民芸品、一刀彫闘牛・牛鬼(うしおに・ぎゅうき 西日本に伝わる妖怪。主に海岸に現れ浜辺を歩く人間を襲うとされている)等が県外から訪れる多くの観光客のために販売されていた。 じゃこ天は愛媛県の特産品で小さな魚(雑魚・ざこ)が転じて「じゃこ天」と呼ばれるようになったそうで、じゃこ天に使う小魚は主にホタルジャコで、地元ではハランボと呼ばれる魚だそうだ。このほかにオキヒイラギ、アジの近海小魚を石臼で練り上げ、菜種油で揚げた逸品で、そのまま食べるもよし、フライパンや網で軽く炙るとさらに美味しくなるそうだ。 駅前の低い植え込みに囲まれたロータリーの中には、大きな「宇和島の闘牛像」が黒い大きな御影石の台座の上に乗せられて立っていた。 闘牛は全国的にも数少ない伝統文化だそうだが、現在の闘牛は、北は岩手県の久慈市から南は沖縄県、本部半島(もとぶはんとう)の今帰仁村(なきじんそん)などで行われており、他にも新潟県の山古志村、島根県隠岐の島、などでも開催されているそうだが、中でも宇和島の闘牛は、正月場所(1月2日)、五月場所(5月3日)、お盆場所(8月14日)、秋場所(10月15日)と、大きな大会が年に4回行われるそうだ。 宇和島駅からは国道56号線を北に走り、古い城下町の風情を色濃く残す、西予市、卯之町(せいよし、うのまち)に向かった。 ここは、かつて宇和島藩の宿場町として栄えていた頃の街並みを多く残し、白壁や出格子などが特徴の、江戸時代から明治時代の建造物が軒を並べ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているそうだ。 和風建築の中に赤い屋根の教会などの洋風建築もあり、現在でも明治時代から続く老舗旅館「松屋」や、造り酒屋「元見屋酒店」などが営業しており、地元住民や観光客で賑わっている街並みを散策していると、往時の生活の様子を偲ぶことができる。 JR卯之町駅の北側には明治15年(1882年)に地元住民の寄付により建築されたといわれる洋風の小学校「開明学校」があった。ここは日本の伝統的木造建築の中に西洋風のアーチ型窓を取り入れたモダンなデザインが特徴の建物で、窓にはドイツ製のガラスが使用されている。現在は教育資料館として町内で出土された考古資料等を展示しているこの建物は四国最古の小学校だそうだ。 卯之町駅を出てからは予讃線の次の駅、上宇和島まで国道56号線を2 km程北に走り、そこからは愛媛県道30号線を左折して宇和海の須崎海岸まで、くねくねと続くみかん畑の間に造られた山道を走り、やっと蒼い海が美しい宇和海に出た。そこから海岸線を北に走り、先ほど関兄が予約をしてくれた「スーパーホテル八幡浜」まで車を走らせた。ホテルに着く頃には秋の陽もとっぷり暮れて八幡浜の街は夜のとばりがすっかり下りていた。 11月1日(金)スーパーホテル八幡浜を8時頃出て国道378号線を北上して瀬戸内海の 夢永岬(むえながみさき)に向かった。2156mの長い瞽女(ごぜ)トンネルを抜けてようやく、波の穏やかな瀬戸内海の海岸線に出た。 青い海に沿って国道378号線を東に走行中、関兄からせっかくここまで来たから下灘駅(しもなだえき)に寄っていこうという話が出た。私は初めて聞く駅の名前だったので、詳しいことを尋ねると、鉄道を愛好し、鉄道のすべてを趣味とする人達、いわゆる「鉄ちゃん」や旅行好きの人たちの間では、JR下灘駅は「日本で最も海に近い駅」として、また瀬戸内海に夕陽が沈む光景が大変素晴らしいということでも、よく知られているそうで、現在は海を埋め立てて国道378号線が通っているが、昔はホームのすぐ下にまで波が打ち寄せるほど線路と海岸が近かったそうだ。 現在の駅の利用者の多くは観光客だが、昔は地元住民が通勤などで利用しており、今は無人駅だが、その頃は駅員も10名近くも勤めていた時代もあったそうだ。 そんな下灘駅だったが、近年、映画「寅さんシリーズ、男はつらいよ・寅次郎と殿様」でロケに使われたり、JRが発売する「青春18きっぷ」のポスターに採用されたことなどが転機となり、さまざまなメディアが取り上げるようになり、ドラマやCMを見て訪れる観光客も以前と比べて大分ふえたそうだ。 我々が駅に着いたのは11月1日(金)の 11時頃だったので訪れる観光客も少なかったので、ホームのベンチに腰掛けて瀬戸内海の穏やかな蒼い海原を眺めたり、古い木造駅舎の壁に貼られた「下灘駅フォトコンテスト」の入賞写真を見たりして、結構のんびり過ごすことができた。 下灘駅を出た後、予讃線に沿って国道378号線を北上し、松山市内に向かい、松山中央郵便局、道後郵便局をまわり、その後、379号線で内陸部の内子町に戻り、内子郵便局に立ち寄った後、そば処「下芳我邸(しもはがてい)」で遅い昼食をとった。そして明治26年(1893年)創業の昔ながらの老舗醸造場で醤油、味噌などを製造販売している「森文醸造」や江戸から伝わる和蝋燭屋の伝統を守り続けている「大森和蝋燭屋」などを見学した後、内子座に向かった。 内子座は大正5年(1916年)に大正天皇即位の大典を記念して建てられた歌舞伎劇場で江戸時代から町民、近隣在郷の人たちの娯楽であった歌舞伎や人形芝居を鑑賞する殿堂として地元の有志18 名の発起により建てられたそうだ。 建物はこの時代、全国的に建てられた劇場の基本に習い木造瓦葺き二階建てで回り舞台や花道などを整えており、洋風小屋組(トラス工法・柱のない大空間を可能にする建築技術)であるため舞台から観客席にかけて天井の空間が広々としているのが特徴だそうで、劇場は時代の変遷とともに部分的に改造が繰り返され昭和50 年代に始まる内子町の歴史的環境保全運動の一環として保存機運が高まり、3ヶ年の年月と総事業費7千20万円をかけて昭和60年(1985年)に大規模の復元が完成したそうだ。 賑やかな興業のぼりが立つ南側に面した間口の広い玄関の上がり框(あがりかまち)から西廊下を前に進むと、緑の老松が描かれた大きな松羽目幕(まつばめまく)が小屋の正面壁板一面に張られた大舞台が現れた。舞台の中央は直径8.2mの回り舞台になっており、そこには大人二人位は乗れそうな「せり上がり」が造られていた。 観客席は1階正面の桝席、2階の正面席と側面席がある。特に2階の正面席は大向(おおむこう)といわれ、料金が低く常連客が多く入ったところらしい。「大向をうならせる」とは目の肥えた常連を感心させるほど芝居がうまいということのようだ。 2階桟敷席は1列目が座布団席で2列目と3列目が木製長ベンチの腰掛席になっていた。 また、1階、右側の花道にある「すっぽん」。原則として人間以外の妖怪などの出入りに用いる(せり上げ)、(せり下げ)の仕掛けで、すなわち「花道」を歩かせない形で効果が印象的に役者を出没させるために考えられた出入り口なども見学できた。 芝居小屋の地下は壁を丸石を積み上げてしっかりと固めて造られた「奈落」と呼ばれる作業通路・空間があり、大人4~5人が作業するには結構ゆったり感のするスペースに造られていた。 高い天井に目を移すと格式のある「二重織り上げ格天井」と呼ばれ、神社など格式高い建物に使われる様式の天井だそうで、更に格天井の中心には型は少しアンティーク調ではあったが4灯のまぶしく輝くクリスタルガラスを付けたゴージャスなシャンデリアが吊り下げられていた。 2階桟敷席の上部には高窓を設置して舞台や客席への採光をするように工夫されていた。 内子座を3時半頃でてからは車で内子の古い街並みを改めてゆっくり見、伊予の小京都と呼ばれる歴史の薫る大洲の街並みを楽しんだ後、今晩予約をしていた松山市にある東横INN松山一番町に向かった。 上段の写真  観音菩薩坐像 中段の写真  予讃線下灘駅 下段の写真  内子座全景
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