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投稿者:tabi
八丈島三日目 「大坂の夕照」として八丈八景に詠まれているほどの美しさを誇ります。 大坂は島一交通の難所で、此処を境に大賀郷、三根は坂下、樫立、中之郷、末吉は坂上と呼ばれている。隧道は日露戦争戦勝記念に掘られたが、その後莫大な費用を投入して隧道の拡幅や横間道路の改修をし、最近夢の逢坂橋が完成し、夕日の美観が八丈八景に選ばれている。 そばだてる 巌に憂きを 隔てつつ 夕日涼しく 越える大坂                 鹿島 則文。 大坂隧道之碑 八丈島は大坂越(おおさかごし)、登龍峠を境にして坂上3村と坂下2村に分かれていました。この坂上と坂下を結ぶ主要街道の大坂越は、急な坂で崩壊も多く、危険な道でした。1907年に日露戦争の戦勝記念事業として、大坂トンネルと大里を結ぶ新道が建設されました。工事の途中では、何度も大崩落が起こって、そのつど犠牲者を出したうえ、政府や東京府からの補助金はなく、島民からの税金だけで造られたため、倒産する会社が出るなど、大変な難工事でした。 大坂隧道改修之碑 大坂隧道と横間道路は阿坂島司の職を賭けた英断と八丈島各村村民の献身的夫役に依って明治四十年に開通したものであるが近時急激に交通輻輳して島民は拡幅舗装改修を渇望するに至り美濃支庁長は美濃部知事と諮り国の補助を得て昭和四十一年に着工し同四十三年竣工して輸載の便産業の振興等八丈島の飛躍的発展を促した 茲に碑を建て旧碑も復元して改修の功を悠久に記念する 昭和四十七年八月二十九日 大坂隧道之碑建立実行委員会 建之 八丈町長 (以下15団体代表者名列記を略) 説明と他の写真29枚は↓をご参照下さい。 https://ameblo.jp/tabicom/entry-12834685176.html
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