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投稿者:快速つくばね
keihan3505様 暑い中の撮影ご苦労様です。  私は、いつも8月6日の「いかりの広島」と9日の「いのりの長崎」と対で考えてしまいます。共通点はどちらも被爆地ですが、路面電車の運営を現在まで公営でない民間の鉄道会社が頑張っていることと、戦前から戦中にかけて世界最大の戦艦であった戦艦大和(呉海軍工廠)と戦艦武蔵(三菱重工業長崎造船所)の建造場所が近かったからでしょうか。  現役時代にこの両都市を直接結ぶ「出島号」という気動車急行が走っていました。呉-長崎・佐世保間を長崎編成7両(ハザ1両・ロザ1両)、佐世保編成3両(ロザ1両)で、いつも夜行列車に乗って呉線の蒸気機関車の写真を撮りに行くと、呉駅の海田市方の山側の引き込み線に留置されていました。  1966年7月の時刻で主な列車の停車時間は、下りが呉発8:15-広島発8:50-博多発13:35-肥前山口着14:48-長崎着16:34・佐世保着16:00で、上り列車は佐世保発13:30・長崎発12:30-肥前山口発14:17-博多発15:31-広島着20:15-呉着20:50でした。今から考えると海上自衛隊の基地があったにせよ呉-佐世保間で3両編成の中で1等車1両の輸送需要があったのですね。今年の9月23日に西九州新幹線が開業すると呉から長崎に行くには広島、博多、武雄温泉と三回乗り換えなければ行けなくなってしまいます。果たして便利になったのでしょうか。  私は、1997年5月17~18日に広島市内で行われたOB会合宿で広島電鉄軌道線に全線乗車して以来、その後は広島駅での接続列車待ちに駅前で安楽的な撮影しかしていません。この風景も2025年春を開業目標した広島駅2階への乗り入れで見られなくなってしまいます。写真は、特別快速「せんり1号」に投稿した2016年7月4日(1枚目)と2018年6月25日(2・3枚目)のものを再掲します。
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