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[764] Re: ここは何処?通番14 投稿者: 快速つくばね 投稿日:2022年 1月 1日(土)19時37分54秒 通報 返信・引用 明けましておめでとうございます                           2022年 元旦  開設3年目に入った関西大学鉄道研究会OB会掲示板『特別快速「せんり」』を本年もよろしくお願いします。  関西大学鉄道研究会のOBであれば会員でなくても投稿可能です。  鉄道に関する思い出話、最近のニュース、皆さんの近況報告などを投稿してください。  また投稿に対するコメント(返信・引用)もどしどしお願いします。  それでは、ここは何処?通番14の解答です。  写真1は、根室駅です。根室は離島を除く本土の最東端ですので納沙布岬の初日の出の時刻は6:49になります。しかしここより南西になる銚子市の犬吠埼の時刻は6:46で平地での日本一早い初日の出となります。ただし夏至には納沙布岬は3:37、犬吠埼は4:21となり、これは地球の傾きによる緯度と太陽の高度が関係しているようです。無人駅での最東端は東根室駅です。  写真2は、木古内駅です。松前線が1988年2月1日に廃止されるまでは松前線の渡島大沢駅が北緯41度26分39.7秒で最南端駅でした。木古内駅は、2016年3月26日の北海道新幹線の新青森-新函館北斗間の開業に伴い、新幹線の駅舎の使用を開始し、江差線の五稜郭-当駅間がJR北海道から経営分離され「道南いさりび鉄道」に移管され、在来線の駅も移管されると同時に営業上無人化されました。駅外観もJR北海道の新幹線駅に合わせるため外壁が改装されましたが、元の駅舎の三角屋根部分が上部に突き出ています。  写真3は、稚内駅です。日本の鉄道連絡船の発祥は、東海道線が全通する前に最後の未通区間となった長浜-大津(現・びわ湖浜大津駅)間に開設された琵琶湖航路(1882年~1889年)ですが、戦前は本土から外地にも稚泊航路:稚内桟橋-大泊港(1923年~1945年)、関釜航路:下関-釜山桟橋(1905年~1945年)、博釜航路:博多港-釜山桟橋(1943年~1945年)がありました。  稚泊航路は、稚内から樺太(現、サハリン)の大泊(現、コルサコフ)までを結び、宗谷本線の優等列車と接続するダイヤを組み、1938年からは稚内側では列車が船に横付けできるよう、稚内駅構内扱いに稚内桟橋駅という仮乗降場が設けられました。また大泊側は桟橋上に大泊港駅が設けられ、樺太東線と接続し、宗谷海峡は冬になると流氷で閉ざされるため、就航船には砕氷船が使用されました。 写真1:根室駅の最東端標識 写真2:左側が道南いさりび鉄道、右側がJR北海道(新幹線)の木古内駅舎 写真3:稚内桟橋駅跡。現在の利尻・礼文航路のハートランドフェリーの停船場所に稚泊連絡船が停泊した。
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