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先日は、新井宏氏の論文(http://www.arai-hist.jp/lecture/07.11.17.pdf)で紹介されていた魏晋倣古鏡の同位体比表(図1として再引用)と、同じく三角縁神獣鏡の鉛と一致する箱式石棺・方形周溝墓の出土鏡の鉛同位体比表を参考にしながら、これらの出土古墳と以前もお知らせした紀年銘鏡を出土した古墳等を結ぶ方位ラインを作成しましたが、特にその中の佐賀大和・十三塚遺跡(箱式石棺)とそのそばの与止日女神社との関係から、女王・台与との関連を予想したことがありました。 そこで、その十三塚遺跡について注目して、ここから出土した方格規矩鳥紋鏡についてよく見てみると、以前取りあげた韓国金海(狗邪韓国?)の大成洞古墳出土鏡とほぼ同型であることに気づきます。図1下図参照。 そして、その大成洞古墳と十三塚遺跡、先図1にみえる青龍三年銘方格規矩四神鏡(波紋帯・珠点有り)を出土した太田南古墳群とを結んだものが、図2となります。 ここで、大成洞古墳⇔十三塚遺跡へのラインが西60度偏角となり、また十三塚遺跡⇔太田南古墳群ラインが東30度偏角となりますので、両者は直交していることが判ります。明らかに人工的な位置付けです。 したがって、この狗邪韓国の大成洞古墳あたりに、この銅鏡を配布した集団の当初の拠点があった可能性があるでしょう。 また、十三塚遺跡と同型の方格規矩鳥紋鏡を出土した津古生掛古墳の位置を考えたのが図3となります。 ここで、十三塚遺跡⇔津古生掛古墳ラインが東25度偏角となり、このラインの延長線上に図1に掲載された方格規矩鏡を出土した岡山の吉原6号墳が位置しています。 その津古生掛古墳⇔高良大社が南北ラインとなります。そして、十三塚遺跡⇔高良大社ラインが西5度偏角となりますから、30度偏角で十三塚遺跡と、津古生掛古墳、高良大社が位置づけられていたこともあきらでしょう。 その高良大社からも初期の三角縁神獣鏡も出土しており、そこには鏡山の字名も残りますが、また津古生掛古墳も纒向型前方後円墳ですから、十三塚遺跡も同時代に使用されていた可能性が高くなります。 この十三塚遺跡の主は、古墳時代初期に、狗邪韓国と交流をもっていたはずで、かつ日本においても紀年銘鏡を配布するなど、重要な役割を果たしていたはずです。 佐賀大和の字名からみても邪馬台国の関係した土地でしょうから、やはり女王台与との関係が疑われます。 なお、十三塚遺跡の箱式石棺からは2体の遺骨が確認されており、方格規矩鳥文鏡一面の他、夔鳳鏡片一面、鉄製刀子一点が副葬されており、その刀子は文官の存在を意味しますから、この周辺地域に当時の役所・文官がいた可能性が高いでしょう。詳細は下記サイトをご参照ください。 https://saga-otakara.jp/search/detail.html?cultureId=5308
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