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投稿者:wajin128
二世紀以前の機内大和は「過疎地」だった。   奈良盆地は一面の湿地帯でした。 つまり人の住めない「古池」といって良いでしょう。 ここに九州からやって来た倭人は、溜まり水を運河を作って大和川に水を流し、灌漑に取り組んでいます。   灌漑を行った地域を田畑に変え、莫大な利益を得たようです。 二世紀以降は利益を求めて、人口が爆発的に増加しています。 こうした人口爆発が「大和王権」の源泉となっています。   畿内説の人々は、二世紀以前の奈良がどうなっていたかを、説明しようとしません。 これは卑怯というべきでしょう。  
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