投稿者:ステルスF22
古代オリエントの遺品を中心に解説していきます。
画像1:左上はイナンナ女神を表す「8花弁の薔薇」で、それを二匹のサソリが
保護しています。約5300年前の作品。右上の8芒星のデザインは、
イナンナの星=「金星ヴィーナス」を表しています。
左下の石碑は4300年程前のメソポタミアを制していたアッカドの
ナラム・シンの戦勝記念碑だが 頂上に「明けの明星・宵の明星」つまり
金星が刻まれている。ただし、8芒星なのに『後光』が均等に描かれて
いるので、まるで「16芒星」のように見える。
その下はBC9Cのメソポタミアの新アッシリア王の腕輪だが16花弁
のロゼッタ文様となっている^^vでも、それは実はエジプトから
逆輸入された文様だった!それを次に示します。
画像2:左端は、ツタンカーメン(約3350年程前)の胸飾りだが14花弁で
他の「蓮の表現」を伴っている。実は、4~5000年程前だろうか、
メソポタミアからロゼッタ模様が持ち込まれたとき、エジプト人は、
国花といえる「蓮=ロータス」と見做してしまったのだ!
ツタンカーメンの遺品の場合は14花弁だが、かの有名なラムセス2世の
愛娘=メリトアメン王女の左胸では16花弁文様となっており、それが
100年後のプスネス1世の「黄金の皿」にまで継承され、以後16花弁が
王家の紋章として定着し、BC9Cの新アッシリアにも逆輸入され、それが
シルクロードを経て、インド・中国・朝鮮を経て日本にも輸入された。
聖徳太子が仏教に帰依して仏寺を建立しようとした時、朝鮮半島の百済から
大工が押し寄せて唐招提寺を建立したのだが、その瓦に花文様をデザインし
ていた。ただし、花弁の数は一定ではなく、10枚とか12枚とか、或いは
20枚とか まちまちだった。ただし、それまでの日本には、このような
草花の装飾模様は無く、こうして初めて輸入されたそうだ。で、瓦の模様の
中には、右下で復元されたような16花弁のデザインもあった!!
画像3:ツタンカーメンの遺品として何百も見つかっているロゼッタ文様です。
実は、古代ギリシャにも、花弁数がまちまちなロゼッタ文様が溢れていた
のだが、何故 日本でも見捨てられることなく重宝され続けたのだろうか?
それは、次に述べることに します^^