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投稿者:仲井
秋晴れの清々しい朝です。今日は洗濯物がキッチリ乾くかな。農作物のことや野生動物のことを考えれば雨もまた必要なのですが、やはり晴天の秋空は心地よいですね。昔、卒業後に行ったサザンカリフォルニア地方はカラッとした気候で過ごしやすかったのですが、過剰な乾燥による山火事が多発していました。湿気がないから車など錆びにくいのですが、それでもパリパリな気候よりシットリしていた方がよいと思いますね。(かと言って東南アジアのように多湿だと閉口ものです。タンスの中のスーツの脇のあたりにカビが生えてくるのには、さすがにビックリポン!でした。) 今年の文化勲章、文化功労者が発表されましたね。嬉しいことに今年も音楽界から選ばれました。ユーミンもその一人ですね。これで中島みゆき、桑田佳祐に続いて3人目なのかな。彼らの楽曲は長い時を経ても色褪せることなく、今後も生き続けることでしょう。 ユーミンが今回のことに関してコメントしています。ポップスは発表されて聞き手の耳に届いて初めて生命が生まれる。さらに様々な聞き手の中で色々な想いと共に、様々な形にその時々の思い出と共に昇華されていくと。まさしくその通りだと思います。 コロナ禍前によく行ったカラオケスナックでは、やはり最終的には若い頃に流行った歌の大合唱になったものです。私よりちょっと年上の方々が多い時は、いちご白書をもう一度が多かったなぁ。同級生のママさんとは、よく卒業写真を一緒に歌いました。映画音楽にもなった、ひこうき雲やルージュの伝言もよく女性の方が歌われていました。みんな、何がしかの思い出を胸に秘めながら歌っていたように思いました。 ユーミンと石川県や金沢市は浅からぬご縁があります。まず彼女が石川県の観光大使であるということ。またプライベートでよく金澤に遊びにいらっしゃるということ。よく浅野川沿いを散歩されている姿が目撃され、ユーミンは金澤に自宅があるんじゃないかと噂されたこともあります。ただしこれはデマで、お気に入りのホテルからたまたま散歩していただけだそうです。 ユーミンがよく金澤に遊びに来る理由はもう一つあり、それは彼女の大恩人が金澤にいらっしゃるからだと言われています。デビューしたての頃のユーミンはまだ大した仕事もなく、認知度も低い平凡な女性フォーク歌手の一人に過ぎませんでした。しかし金澤の民放ラジオ局の女性ディレクターが彼女の非凡性に早くから注目していて、仕事の少ない彼女をよく自分の担当番組に出演してもらう為、金澤に呼んでいました。 昼間のローカル番組ながら地元ではかなり人気があり、長く続いた長寿番組で、ユーミン以外にも永六輔さんや中村メイコさんなどがゲスト応援団として出演されていましたし、私もよく聴いていました。若い人たちだけでなく年配の方にも愛聴者が多かった番組でしたね。(ちょうど深夜放送華やかりし時で、この放送局はオリジナル製作や公開ナマ放送もよくやっていました。ラジオのよい時代でした。) いまその女性ディレクターは既に退職され、認知症を少し患っていらっしゃるからか、郊外の老人ホームに入居されているようです。NHKの特番でユーミンがその方に会いに行かれたことが出ていました。見られた方もいらっしゃるかもしれませんね。 若い頃に助けてもらったことを忘れない。彼女の人間性を垣間見た気がしました。そう言えば彼女は創作のためにふらりと出た旅先で、よく地元の人達とサラリと交流することが多いようですね。九州の西海諸島の高校に校歌を提供したり、長野県の田舎の中学校の生徒達と交流したりと、彼女の人柄がなせるものなのかもしれませんし、若い頃に手を差し伸べてもらったことが大きく影響しているのかもしれませんね。 今日一日、人に優しくできる自分でありたいですね。
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