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投稿者:モボ101
いつもご案内いただきありがとうございます。 京津線の80型や260型、300型の写真を拝見すると、急こう配を登る吊りかけモーター音が聞こえてくるようです。この時代の260型は、片開扉と両開き扉、片運転台と両運転台、ヘッドライトが1灯と2灯、種車の関係か台車も何種類かあり、バラエティーに富んでいて興味深かったですね。 写真はポール集電末期の頃に、連結面にパンタの台を準備して登場した、260型4次型が新車だったころです。 283号ほか 浜大津 1968/8 1980年代初めの広電は電車博物館。趣味的には一番楽しかった時代でしょうか。続発した追突事故対策で、せっかくの大阪や神戸のオリジナル塗色に、正面に黄色い菱形の腹かけを描かれてしまったのはちょっと残念。江波車庫は外からのぞいたことはあるのですが、見学を申し出なかったのは、今から思えは惜しいことをしました。 写真の500型は、同時期の数少ない広電オリジナル車です。 502号 原爆ドーム前 1980/12 急行「きたぐに」には、客車列車の時代に青森まで乗車したことがありますが、583系の「きたぐに」には全く縁がありませんでした。583系の寝台には、東北本線を120km/hでかっ飛ばす「はくつる」に上野から青森まで乗車して、モハネのモータ音と揺れの酷さで寝られずもう懲り懲り。以後は電車寝台を避けブルートレインを選んでいましたが、サンライズ瀬戸/出雲に何度か乗り、サハネの個室のみならずノビノビ座席のモハネでも騒音は気にならず、ぐっすり眠れて技術の進歩を痛感しました。 きたぐにの写真はないので、代わりに山田線のキハ52と並ぶ、末期の583系「はつかり」です。東北新幹線から盛岡で乗り継ぐとき、座席を交換して座り心地の良い485系が待っていれば当たり、オリジナルのボックスシートのままの583系のこの時はハズレでした。 583系のはつかり 盛岡 1991/10
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