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数学者として活躍していた内田豊。 彼は、地元の依頼により島に来て講演をしていた。 だがその状況は、褒められたような状況ではなく周りの人々は、全く興味がない様子でとうとう彼の怒りを買ってしまいそのまま講演は終了した。 そして彼は、50歳っという長きの人生の中で数学者として終わりが見えていた。 島から自分が住んでいる場所に帰ろうと思っていたのだが船便が終了しており彼は、そのまま気の向くまま自分が通っていた学校に向かって行った。 そして彼は、見つけた。 自分が途中で投げ出した数式が完成されている計算式を・・・ そしてそれを書いた少年を・・・ これは、少年と数学者による数学の美しさと尊さを描いた漫画です。 「数学とは情緒の学問である」 天才数学者、岡潔(1901〜1978)の言葉である。数学と情緒? 一見すると、対極に位置するように思える2つの言葉だが、じつは数学とは突き詰めていけばいくほど、情緒すなわち「世界をイメージする力」が必要な学問であると言われている。  初等数学では数字や数式がたくさん出てくるが、数学的思考は高度になればなるほど、「文章」へと近づいていく。  たとえば数学の歴史上もっとも有名な「未解決問題」の一つである「ゴールドバッハの予想」はこうだ。 「すべての2よりも大きな偶数は二つの素数の和として表すことができる」  この単純な文章で表される予想は、クリスティアン・ゴールドバッハというロシアの数学者が、同じく著名な数学者であるレオンハルト・オイラーにあてた1742年の書簡で述べたものだが、それから260年以上が経った現在も、世界中の無数の天才数学者たちが挑みながら、未だに証明されていない難問として知られている。  フェルマーの最終定理や、リーマン予想といった同じく長い間数学者の頭を悩ませてきた問題も、その最終的な定義や公式は、わずか数行の単純な文章で表される。しかしいったんそれを証明しようとなると、とてつもない努力と、恐ろしく高度で抽象的な数学的思考の積み重ねが求められる。 「3以上の自然数 n について、xのn乗 + yのn乗 = zのn乗となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない」  という、中学生でも理解できるフェルマーの最終定理の予想は、アンドリュー・ワイルズによって証明されるまでに360年の歳月を必要とし、最終的な論文は150ページ以上となった。  数学者たちの人生に畏敬の念とともに関心を持ってしまうのは、彼らの「真理」を解き明かそうとする人生をかけた努力が、あまりに眩しく輝いて見える。  数学という真理の前では、あらゆる人間は平等の存在となる。空間や時間、次元をも超えて数学的思考を突き詰める数学者たちの姿は、「神との対話」を純粋に追い求める敬虔な宗教者の姿にも似ている。   「はじめアルゴリズム」で、ハジメは数学のシンポジウムに登壇していた、自分と同じ年頃の、やはり数学の天才少年である「テジマ」と出会う。これから二人が、どんな数学の情緒の世界を見せてくれるのか。数学に憧れながら、まったく数学と程遠いところで生きている、生粋の文系人間の私だが、この物語の先が楽しみでならない。 [YouTube:AQ720sKllMM:R]
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