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投稿者:管理人
先日、分析した四国と能登半島の氷見の字名と卑弥呼の関係について再考しはじめています。 以前図1のように、全国の纒向型前方後円墳や初期前方後円墳を結ぶ方位ラインを紹介しましたが、その中に氷見市の柳田布尾山古墳⇔森将軍塚古墳⇔浅間山古墳へのラインともかかわっており、その延長線上に、息栖神社が見えてくるがありましたね。 それで、四国の氷見町南部にある兎之山付近について注目すると、図2のように、女山神籠石⇔兎之山⇔布留遺跡(石上神宮外苑公園の古墳状地形)⇔富士山⇔神栖神社への東18度偏角のラインが明らかになります。 したがって、二つの氷見の字名は、纒向型前方後円墳等の初期前方後円墳、神籠石、布留遺跡あたりの年代と関係する年代に存在していた可能性があるでしょう。 富士山あたりを測量基準としていたように見受けられますね。 仮に、以前弓張月さんのご指摘にあったように、卑弥呼と氷見が関係するならば、卑弥呼の墓もそのあたりにありそうですが、図3のように、兎之山周辺は高地性集落のような形状をしており、その周囲を川が堀のようにして巡っていたようにも見えます。 兎之山の上には、松岡神社があり、国常立尊(くにのとこたちのみこと)伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冊尊(いざなみのみこと)金刀比羅神社(大物主神)八幡社(神功皇后、仲哀天皇、応神天皇)厳島神社(市杵島姫神)荒神社(素盞鳴尊)が祀られているようです。詳細は下記のサイトをご参照ください。 http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=7292 また、兎之山北東に、伊曽乃神社があり、天照大神の荒魂と武国凝別命を祀っていることも注目しておくべきでしょう。コノハナサクヤヒメなども祀られているようですが、女神の伝承があることにも留意しておくべきでしょう。下記のとおり。 地元の伝説によれば、その昔、伊曽乃の女神と石鎚山の男神が加茂川の畔で出会った。二人は恋仲となり、女神は結婚を迫った。しかし男神は、石鎚山で修行を続けなければならないために結婚はできないと断った。しかも石鎚山上は女人禁制のため、同行は許されない。「修行を終えれば結婚するのでそれまで待ってほしい。山頂から三つの大石を投げるので、真ん中の石が落ちた所に館を造って待つように」と言い残して山へ登った。間もなく、石鎚山から三つの石が飛んできたので、真ん中の石が落ちたところに営まれたのが伊曽乃神社だという。現在、伊曽乃神社の一の鳥居の脇には、石鎚の神の投げ石と伝えられる石が残っている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9B%BD%E4%B9%83%E7%A5%9E%E7%A4%BE その石鎚山は、兎之山の南部に位置しますが、そこから三方向に石を投げた真ん中がこの社地となるわけですね。 アマテラス女神の荒魂を祀るというのは、卑弥呼や台与といった女王との関係も想起させますね。 あと、その北東に、先日の沖縄から延びるラインでも見えてくる八堂山の高地性集落があり、これが神籠石や山城やグスクへのラインと関係することもありました。 そういう意味でも、この四国の氷見から八堂山にかけての地が、弥生時代末期から古墳時代初期において重要な拠点だった可能性が高いでしょう。この辺、もう少し調べてみたいところです。
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