投稿者:一彩
本日、友人と行ってきました。
江戸時代、古事記伝を執筆中だった本居宣長が、
こんな小さな土の盛り上がりが、とても初代天皇の墓とは思えない…
と疑問を呈したその小さ過ぎる塚が、
どういうわけか、初代、神武天皇の墓と決められて、
その後、多分明治時代以降に大規模に盛りに盛られて、
現在の巨大な神武天皇陵となりました。
ここまで巨大な古墳となると、当然、正面には山のような墳丘が見えるのですが、
神武天皇陵は、元々本居宣長が、自分の墓はこんな感じにしたいとイラスト付きで残したような(写真1枚目)、
小さな小さな塚だったので、当然、墳丘は見えません。
そして、コレが神武天皇陵だとでっち上げられたその後、
部落差別に関連する闇も含まれているのです。