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まずは、海鳥様へ 紙飛行機趣味人の平均年齢は、1年に1歳ずつ高くなっているのが現状です。 「こないだ、新会長に代わって、彼は50歳だから、あと20年は会が続く」というのを、大泉で聞きました。  ちなみに、大泉では。杖を突きながら飛ばしている人も(拙の目撃範囲では)2名いらっしゃられます。  なお、紙飛行機愛好者のあいだでは、Age Flightと申しまして、  (100-年齢)秒の記録を出すと、御赤飯で祝う風習が――ありはずねえだろ。  つぎに山鳥さま。  二宮康明超絶極大は、日本(接着式)紙飛行機のパイオニアにして最高権威です。  電電公社に勤務中の1967年、サンフランシスコで開催された第1回国際紙飛行機大会に機体を送って代理飛行してもらい、滞空と距離の2部門で優勝しましたちなみん、第2回は1985年にシアトルで開催されました。  当時の機体(最初の画像)は、誠文堂新光社の切り抜く紙飛行機の本にも収録されていますが、現在のものに比べてプリミティブ(水平尾翼容積が実機並みに小さい、翼端上反角は紙をロウソクで炙って付けている)で、ライトフライヤーとは言わぬまでもブレリオ単葉機かな。  子供の科学に付録としてついていた紙飛行機は二宮博士(号所持者)の設計です。  旧AG社、現AOZORA社が出しているWhite Wingsキットも彼の企画・設計です。代表的なスカイカブⅢは、20秒も飛べばエース級です。現在の競技用紙飛行機では40秒飛んでピース級です。  二番目の画像(PPP=Paper Pipe Plane)の数字の意味は、135Kgケント紙(一般的な紙飛行機は180~210Kg)で、4.0g未満で、40秒の滞空(出来たらいいのになあ)という意味です。  あと。ご指摘の他に、「神戸紙飛行機を飛ばす会」というのがあり、「しあわせの村」が拠点です。  大泉は、以前の会長の死去後、コロナの影響もあり、オフィシャルな活動(各種予選会)からは撤退しているようです。それでも、平日で(ロートル中心で)10人くらいは飛ばしています。  肝心の万博は、他のふたつの飛行場に比べると「うわわわわ、大阪なのにでっかいどう!」なのですが。200年代初期の二人の会長の後、若い人が引き継いだあたりから活動が低下、拙は2009年でセミリタイヤ(タイヤなのに履帯とは、これ如何に?)したので詳しくは知りませんが、ご指摘の2015年で、現在の会長にバトンタッチしたのでしょう。この御仁とは、拙はスキーが合いませんが、他のメンバーも同様らしく、月一度の記録会も、かつての20人前後からは様変わりの5人くらい。平日に飛ばしている人数も、それくらいです。記録会と平日とは顔触れが違うのですから、結局はどんなサークルでも代表格の人望次第ですな。  かつては万博公園に来ていた人でも、わざわざ狭い大泉にシフトしたのが何人もいます。悪口はここまで。
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