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投稿者:tabi
金城山 養寿寺 国定忠治の墓(養寿寺) 養寿寺は、平安時代中期の永保三年(1083年)の開基とされ、その後平安時代後期になり開山された天台宗の寺院です。創建当初は「相応寺」と称していたと云います。また、養寿寺は幕末(江戸時代後期)の侠客、国定忠治の菩提寺として知られております。 国定忠治の本名は長岡忠次郎.。上野国佐位郡国定村(旧 佐波郡東村国定地区、現 群馬県伊勢崎市国定町)の豪農の家の長男として生まれる。忠治や友蔵は長岡家の菩提寺である養寿寺で寺子屋を開く住職貞然に学んでいると考えられており、養寿寺には友蔵の忠治宛金借用証文も残されている。 死後の忠治は,時代が閉塞状況となるたびに国家権力と戦う民衆のヒーローとして映画や芝居などを通して甦ることとなり、現代でも身近なところでは「八木節」に歌われていたり、講談や演劇、大衆文学などのテーマとして取り上げられてきたことから、広くその名を知られ、語り継がれています。 詳しい説明と他の写真40枚は↓をご参照下さい。 https://ameblo.jp/tabicom/entry-12767155983.html
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