投稿者:5期生 ひろせ
先生の御自宅の近くに、文人画で有名な富岡鉄斎邸跡があります。
今日、イチハツの花を拝見しようと、御霊神社(応仁の乱勃発の地)にお参りしましたが、神社の広報誌に富岡鉄斎のことが触れられていました。
先日、静岡県の清水に伺いましたが、清水の次郎長の生家に山岡鉄舟(明治の侍従)の氏名がありました。山岡は、徳川慶喜の使者として幕末に活躍したのち明治政府でも静岡の役人として活躍したのですが、その時次郎長と意気投合していたようです。
清水次郎長も、山岡鉄舟に出会わなければ、タダの博徒・ヤクザで終わっていたかもしれません。
清水次郎長の肖像ですが、私はドラマの竹脇無我のイメージを持っていましたが、実際の次郎長の写真はかなりのコワモテ。黒駒の勝造とキャストを入れ替えた方が良さそうです。笑
そういえば、悪い方の石田さんが次郎長の生家で長五郎の屋号付きポロシャツを買っていました。
富岡鉄斎と山岡鉄舟。岡と鉄が共通。先週の清水と今日の京都で出会ったのも何かのご縁でしょうか。