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投稿者:ハマの悪夢
93年菊花賞などG1・3勝を挙げた名馬ビワハヤヒデが、けい養先の日西牧場(北海道日高町)で 21日未明に老衰で死んだことが、分かった。30歳だった。 タマモ→オグリ→マックに続く芦毛が強ぇー時代の1頭。 90年代の代表的な生産者、早田牧場伝説の始まりの馬。 鞍上も含めたチケットとのライバル関係、 弟ナリブーとの果たされなかった対決。 俺的にはステチャンから行って外した菊花賞と チケットと揃って故障した秋天が思い入れ深い。 30歳って大・大往生。つーか「死なない病気が治った」レベルなんじゃ。 チケットも まだご存命なので先に行って道を照らすのか。 親友と書いてライバルと読む様な いい関係ですな。 ハヤヒデ ミニミニ情報コーナー 〇母パシフィカス目的で購入したら中に なんかいた程度の存在だった。 〇日本へ輸送中に出産予定日が間近になり、北海道に送る余裕が無くなり  戦後では珍しい「福島産」競争馬だった。 〇馬体は480kg前後とフツーだったが、なんでか顔が極めてデカかった。 〇デビュー3連勝から、確勝で臨んだ朝日杯・共同通信杯を取りこぼし、 騎手変更。 〇降ろされた岸「相手をナメてたら負けちゃいました」これは残当。 〇依頼された岡部「馬主も生産者も知らん。ヤダ」「早熟のマイラーでしょ?ヤダ」と当初は断ってた。 〇弟ナリブーが快進撃を続け、兄弟対決が話題に。 〇ところが馬主がヤル気なし。記者から「JC辺りですか?」「JC?あんなモン、タマ取った馬でも勝てるレース」と問題発言。  まぁどっちかが勝ったら、当然どっちかが負けるワケで。種牡馬になった際に「傷」になるのを嫌ったんだろう。 〇賢兄ハヤヒデはオーナーの気持ちを汲み取って秋天で故障→引退へ。 〇種牡馬となってからは故人所有の不利がモロに出て、重賞勝馬は出ず(2着はある)2003年に(実質上)引退。 〇仔は生産地では概ね好評だった。畑が良ければ活躍馬も出たかも。 〇父シャルードも子のおかげで日本へ導入。そしたら2年で死亡。 〇産駒成績は1位ハヤヒデ(8億円)2位クラシカルマウント(6500万)と物凄い格差がある。 やっぱり競馬開始当初の活躍馬の死去は悲しみが深い。 南無三(英語訳 R.I.P.)  ↓ 顔のデカさをご堪能ください。
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