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投稿者:KZ
『苦いお茶』  木山捷平 ☆木山捷平(1904 年・明治37年〜1968 年・昭和43年)による1962年・昭和37年の短編作品 『白兎・苦いお茶・無門庵』  講談社文芸文庫 ☆木山捷平はとても地味な詩人・作家だけれど、その作品群が 近年もう一度人々の関心を集め始めているようだ。懐かしい「日本のおやじ」の象徴として。(ここでも その詩作品や晩年の長編『長春五馬路』などについて 何回かコメントを続けてきた。) その生涯にわたる作品群の中でも この短編『苦いお茶』は 木山について語るほとんどの人が まずは忘れずに挙げる名作となっている。 ☆主人公の正介は昭和19年 満州国の首都新京(現在の長春)に広報部員の職を得て単身赴任したのだが、翌年には不幸にも現地で応召(41歳)。しかしすぐに敗戦となり、… それから内地に帰還(復員)するまでの一年半ほどを 敗戦国の最低の難民として、それこそ独り身の乞食のように 命からがら生き延びたという過去を持つ(「難民としての一年は 平時の百年にも匹敵するほどの苦しみの連続であった」)。 その命の瀬戸際のような難民生活の中で、同じボロアパートに住む半後家(夫の生死が分からない妻)家族の誰彼と世間話を交わし、なにくれと慰め合い、日々の命をなんとか繋いで暮したのだった。(三階建てアパートの上階部分は ソ連や中国兵相手の「女郎屋」であった。経営者は朝鮮人。) パイチュー(高梁白酒)の闇屋をして暮らしていた頃 ソ連兵による日本人狩り(シベリヤ送り)から逃れるため 正介は同じアパートに住む半後家の直枝から その5歳の娘・ナ子(那子・ナー公)を当時の相場の米二升で借りた。小さな子ども連れはソ連兵による拉致を免れるからである。長春旧市街の酒問屋まで ねんねこに包んだナ子を背負って汗だくで 背中におしっこなどをされながら往復したのだった。出先で饅頭を食べさせてもらって 帰り道のナー公は正介の背中でよく眠った。 そんなある夜 正介は寂しさからナ子を一晩借り受け 我が子のように同じ布団に抱いて眠った。お伽話をいくつも聞かせ終え熟睡していた正介は 夜中に鼻を摘まれて目が覚めた。黙って部屋に入り暗い枕元に座っていた直枝が やがて「私も入れて」と 二人の暖かい布団に潜り込んで来た。 行為の途中 生まれて初めてのような気がすると正介の耳元に囁きながら「でも奥さんにはすまない」と直枝は呟くのだった。 それから十数年がたった。帰還して東京で作家暮らしをしていた正介は 自身の書いた古い随筆を探しに上野の図書館を訪れた。ようやく用が終わり廊下のベンチで一服していると 不意に見知らぬ若い女性から声を掛けられた。「あなたは昔満州におられたキー小父さんではありませんか?」 驚いたことに 長じたナー公が 今は短大の学生となってそこに立っていたのである。来年は学校も卒業して幼稚園の先生になるのだと言う。懐旧の念、いとど深し。二人は図書館の喫茶室に赴き 互いの「その後」を懐かしく語り合った。喫茶室のとびきり不味いコーヒーさえ 今は気にもならなかった。 復員後 かの長春のボロアパートに住んでいた人と会うのは 二人とも初めてのことだった。「母は帰還して三年後に亡くなりました。父はとうとうシベリヤから戻ってきませんでした」 孤児となったナー公は その後姫路に住む伯父さんに引き取られ 今も短大の学費はその伯父さんが面倒を見てくれているのだった。 懐旧の念はさらに増し 二人はそれからタクシーに乗り込み 新宿の焼き鳥屋に落ち着いて、ビールを飲みながら再びあの頃を語り合った。 やがて 「小父さん 奥さんは?」とナー公が訊いた。今も元気で暮らしているよと正介が答えると、「だから奥さんにすまないということだったのね」とナー公が言った。 しばらくしてビールに酔ったナー公は 小父さん 昔みたいにあたしをおんぶしてと言いだした。大丈夫 私は子どもみたいに軽いからと。 『…四十キロといえば、十貫あまりだね。よし、そんなら小父さんが負んぶしてみてやる」   正介は威勢よく洋服の上衣をぬいで、立ち上り、ナー公に背中をむけると、ナー公が飛ぶように正介の背中にのっかった。   正介は彼女の二本の足を脇腹にかかえた。そうして両手を彼女のお尻に添えて二、三歩歩いた。歩いてみると、ナー公は軽かった。十何年前、城内の行き帰りに、死ぬるような思いで、ナー公を負んぶしていた時の苦労にくらべれば、月とすっぽんのような違いであった。 「もう、いいわ、小父さん」   とナー公が背中から言った。 「うん、でも、負んぶついでということもあらあ」   かなり酔っていた正介は面白くなって、客席の間を縫うように、距離にして七間か八間歩いた時だった。 「すけべえ爺、もういいかげんにしないか。ここの、この、大衆酒場を何だと心得ているのか」   土間の一隅から一人の学生が立ち上って叫んだ。さっきから、わあわあ騒ぎながらのんでいた、今ではあまり見かけない、紋付羽織姿の学生であった。どこかの大学の柔道部か剣道部に籍をおく選手なのかも知れなかった。 正介がしまったと思った時、ナー公が正介の背中からとびおりて叫んだ。 「誰がすけべえ爺か。もっとはっきり言うてみ。人間にはそれぞれ個人の事情というものがあるんだ。人の事情も知らないくせに、勝手なことをほざくな」   数十人の飲み客が総立ちになった。   その中でナー公は、きりっとした顔を学生の方にむけて睨みつけ、微動もしなかった。   学生の中の二人が小走りに、ナー公に近づいてくると、 「きみ、かんべんしてやってくれ。あいつは今日は泥酔しているんだ。ぼくらが、代ってこの通り深くあやまる」   二人とも帽子をとってナー公にお辞儀をしたので、事は円満におさまった。しかしそばにいた正介は、もしこの世の中に引揚者精神というものがあるとすれば、それをいまこの目で見たような思いだった。 焼鳥屋を出ると、正介は都電通りまでナー公を送って、タクシーをとめた。タクシーのフロントガラスにとりつけたワイパーが、カッタンコットン動いていたので、雨がふっているのにはじめて気づいた。 扉があいて、ナー公が座席に納まると、 「ナー公、今日は見事だったなあ。わしはきみを見あげたぞ。しかし寮の門限は大丈夫かい」 「うん、大丈夫。今日はうれしい日だったわ。小父さん、また図書館であいましょうね」 「うん、気がむいた時には、また出かけるよ」 「そしてあの苦いお茶、じゃあない、あの不味いコーヒーを一緒にのみましょうね」   二人が別れの挨拶をした時、タクシーが動きだした。…』 ………
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