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投稿者:鋭利庵
手許になくて「こんなのないかな」と思ったときどうするかですね。 現代ではポケットからかまぼこ板を取り出して指で撫でると、なんでも 出てきてしまいます。工夫も知恵も要りません。 我々世代はあるものでなんとかしようとか、作ってしまおうとしました。 もちろん、手に入れることができる既成品があるなら手軽で簡単ですが、 それでも要求が明確なら到達するまでに仕組みや理屈を考えるものです。 手に入る範囲で似たものを見つけても要求に足りないときには少しだけ 手を加えて要求に合うように改造したりもしますし、ある程度中身だの 理屈だのを知らなければいけません。 そういうこともあって携帯端末スマートフォンには抵抗があります。 カメラがデジタルになってもホワイトバランスや露出の仕組みを知って やっと思い通りに操作することができるものでしょう。 このフィルムはこの感度だからこの露出、リバーサルフィルムで電球や 蛍光灯が光源のときに素のままで撮影すると白が白く写らないといった 制限や不便をカメラが吸収してしまっています。 簡単お手軽に撮れる便利な道具ですが、その裏側には先人たちが培った フィルムでの経験が詰め込まれています。 デジタルなすべてのものがアナログを踏まえているとは限りませんが、 視覚や聴覚で受け取るものの多くはアナログ技術が下地になっています。 データ通信のことを少し勉強していた頃に、初期の通信の勘違いの話を 思い出しました。汽車に乗るときに草履を脱いだような笑い話ですが、 通信用の電線に小包をくくりつけたら相手先に送れるのじゃないかと。 プロトコルに従って1と0でデータを送るのは「ー」と「・」で文字を 表現するのに似ていますし、そのプロトコルはひと塊のデータ群単位で 送受信されますが、それを示す「パケット」は「小包」です。 フィルム撮影はフィルムの生産と現像処理までの確保が必須です。 単位が小さいと生産コストがかかりすぎて手が出せない高価になります。 かといって安定的に大量生産するにはもはや需要が少なすぎます。 現像処理そのものも一定量を処理し続けないと安定させられません。 小規模なお店単位ではそれも困難なためやめてしまったところも多数。 モノクロなら公開された処方に基づいて自家調合という手もありますが それにしてもフィルム自体の入手がもはや困難な状況ですね。 フィルムカメラに手を出そうというPENTAXは無謀でしかない気がします。 沖縄いいですねぇ。お仕事とはいえ普段とは異なる環境はそれだけでも いろいろ刺激がありそうです。 そういうときは万能に近い高倍率ズームの一台も頼もしいですね。 私ならTZ95がそこに位置するカメラになりますし、α7Cとの組み合わせで レンズを絞ればコンパクトなお出かけ万能セットになりそうです。 配線とスイッチだけにするか電池とリレーを組み込むか  鋭利庵でした
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