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投稿者:管理人
以前、20年ほど前にヤマトタケル(倭武、日本武尊)伝承に関わる拠点を結んだ方位ラインを作成したことがありますが、今回、新たに多賀大社に関するラインがあることに気が付いたので、再度そのライン図を作成しなおしてみました。 図1はそのライン図で、図2、3は拡大図です。 まず、多賀大社に関わるラインとしては、伊弉諾神宮⇔今城塚古墳⇔多賀大社⇔伊夫伎神社南部⇔白根神社への東35度偏角のラインがあります。 ここで、多賀大社の祭神のイザナギ・イザナミと、淡路島の伊弉諾(イザナギ)神宮とが接合していることに留意しておくべきでしょう。また伊夫伎(いぶき)神社はヤマトタケルが五十葺山の蛇(白猪)神と戦った伝承にかかり、ヤマトタケルを祀る白根神社(草津)は草津に至ったタケルの伝承に基づく社と言えるでしょう。 今城塚古墳は、本来の継体天皇陵とも言われています。継体天皇は尾張氏の妻を迎えているように尾張と深い関わりがあります。その尾張氏は天火明命を祖神とし、天忍人命から始まり、美濃・飛騨などに居住の後、乎止与命のときに尾張国造となります。ヤマトタケルの時代には、拠点を熱田の南に移し、その尾張氏から出た宮簀媛はヤマトタケルの妃となり、後に三種の神器となる草薙神剣をヤマトタケルの死後に伊勢神宮へは戻さず熱田に置き、尾張宿彌の後裔の宗族は熱田神宮大宮司を代々務めました。 次に、多賀大社⇔浅間大社⇔走水神社への東西ラインがあり、その浅間大社は先の白根神社と南北ラインの関係にあり、双方が図のように直交しています。その走水神社は、弟橘姫の入水伝承としてヤマトタケル伝承に記されている地で、また浅間大社は富士山信仰の拠点となります。 続いて伊勢内宮⇔能褒野墓⇔多賀大社⇔気比神宮への西65度偏角のラインがあり、能褒野墓はヤマトタケルが最初に葬られた墓となりますが、のちにヤマトタケルの魂は白鳥となり、葛城の白鳥陵へと向かいます。 このラインは図のように、伊勢内宮⇔浅間大社への東25度偏角のラインと直交しています。 またその伊勢神宮は、ヤマトタケルに倭姫が草薙剣を渡した地であり、気比神宮は応神天皇と名前を取り替えた気比大神を祀っています。 その葛城の白鳥陵については、白鳥陵(葛城)⇔能褒野墓⇔熱田神宮への東35度偏角のラインがあり、また葛城一言主神社⇔白鳥陵(葛城)への東西ラインがみてとれます。 その熱田神宮は、ヤマトタケルの草薙剣がある神社となります。 またそこにみえる葛城一言主神社⇔多賀大社⇔泉神社への東60度偏角のラインがあり、また同じく葛城一言主神社⇔景行天皇陵⇔多度大社⇔白根神社への東40度偏角のラインがあります。 ここに見えてくる葛城一言主神社は、一言主神と幼武尊(わかたけるのみこと)=雄略天皇を祀っていますが、雄略天皇が葛城山中で狩猟をしていた際、天皇と同じ姿の一言主神(一事主神)が現れ、天皇と狩猟を競った話があり、旧約聖書でヤコブ(イスラエル民族の祖)がペヌエル(神の使い)と徹夜で格闘した伝承との類似性が指摘されているところです。 またその景行天皇陵で祀られる景行天皇は、ヤマトタケルの父であり、その景行天皇陵は西の白鳥陵(羽曳野)と東西ラインとなります。この羽曳野の白鳥陵は、先の葛城の白鳥陵からヤマトタケルの魂である白鳥が向かった場所とされています。 そして、その羽曳野の白鳥陵は、先の今城塚古墳と南北ラインで接合していることから、このことからも継体天皇とヤマトタケル伝承拠点とが関係していたことが明らかにしうるでしょう。 続いて、先の能褒野墓については、能褒野墓⇔伊夫伎神社への南北ライン、能褒野墓⇔焼津神社への東西ラインがあり、その焼津神社は、ヤマトタケルが草薙剣で草を薙ぎ向火を放って、悉く賊徒を討滅された焼津の伝承に由来しています。 そして図のように、伊勢内宮⇔焼津神社⇔走水神社への東18度偏角のラインも確認できます。 あと、その走水神社⇔白根神社への西55度偏角のラインと、先の伊弉諾神宮⇔白根神社への東35度偏角のラインとが直交しています。 その他、泉神社⇔伊夫伎神社への東西ライン、熱田神宮⇔伊夫伎神社⇔気比神宮への西39度偏角のライン、焼津神社⇔熱田神宮⇔多賀大社への西13度偏角のラインもありますが、その泉神社は、ヤマトタケルが先の伊吹山の神と戦った際に弱り果て、この「居醒(いざめ)の泉」の水を飲んでなんとか命を取り留めたとの伝承があります。 以上のように、ヤマトタケルに関する伝承拠点は正確に測量された拠点に位置していることがあり、そこに雄略天皇(ワカタケル)、応神天皇五世孫の継体天皇がかかわっていたことも伺えるのですが、これらの天皇が当時武力を行使しえた背後には、大陸から渡来した製鉄技術者集団の存在を意識していおく必用があり、その大陸由来の伝承要素も、これらのヤマトタケル伝承や関連伝承ににどのように影響を与えていたのかについて、考察していくことが課題です。 その伝承の起源については、すでに何度か研究会でも大陸由来の伝承との比較で考察を重ねていますが、改めて今年は考察しなおしてみたいと思います。
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