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投稿者:岩石(ハンドルネーム)
 祖先型が出アフリカ後、南アジアへ達し、東へルートをとって東南アジアへ達し、ここでNO*祖型(Y染色体)からN祖型(Y染色体)、O祖型(Y染色体)が分化したと推定される(N系統(Y染色体)の分化は8800年前か6900年前)。NO(Y染色体)はK(Y染色体)のサブクレード(細分岐)の一つで、「M214, P188, P192, P193, P194, P195」の変異で定義される系統で、3万4600±4700 年前(別のソースによると3万3000 [3万0900~3万5200]年前or4万1500 [3万7400~4万5600]年前)にハプログループK2(Y染色体)から誕生した。NO(Y染色体)は徳島5.7%、福岡3.8%いる。NO(Y染色体)の親タイプのK2a(Y染色体)のパラグループK2a*(Y染色体)はシベリアのウスト・イシム人(4万5000年前or3万7000~4万2000年前)のみから見つかっている。NO(Y染色体)の祖先Ka2(Y染色体)は出アフリカ後北回りで中央アジア・シベリアを経由して東アジアに至り、NO(Y染色体)が誕生したと考えられる。下記の「Y染色体ハプログループ人集団の東アジアでの展開経路」によると、ハプログループNO(Y染色体)→N(Y染色体)、O(Y染色体)は1万9000年前から海面上昇し、スンダランドの低地が海に沈むと、北東亜平野に移り、その周囲(西日本を含む)で広がった。  縄文文明(紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、縄文語)や長江文明(紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、ベトナム系言語)に遅れて、7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明(紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)と黄河文明(紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、シナ・チベット語族)が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。色白金髪碧眼は縄文文明人から遼河文明人に引き継がれた。  遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。日本も7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。その後、遼河文明人は、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)は西に移動し、カザフスタンのバルハシ湖の東にいた(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)と呼ばれていた。  ハプログループP(Y染色体)について、①ユーラシア大陸では西シベリアにハプログループQ(Y染色体)が集中している、②ハプログループQ(Y染色体)が満州を北上している、③極東からアメリカ大陸に渡ったハプログループQ(Y染色体)が多い、④ユーラシア大陸ではヨーロッパ・中央アジア南部・中近東・インドにハプログループR(Y染色体)が集中している、⑤一部のハプログループR(Y染色体)は極東からアメリカ大陸に渡り、北アメリカ北部に集中している、ことから、東南アジア~東アジアでハプログループP(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)に分かれた。東南アジア~東アジアにハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が結構いる。  氷河期が終わると、東南アジア~東アジアではハプログループO(Y染色体)が強すぎるため、もしくは新天地を求めて、ハプログループN(Y染色体)、ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が北、東、西に向かった。ハプログループMS(Y染色体)→ハプログループM(Y染色体)、ハプログループS(Y染色体)は氷河期に南東に向かった。  シベリア~中央アジアで北西に向かったハプログループR(Y染色体)とハプログループN(Y染色体)が混血し、色白金髪碧眼高身長はハプログループN(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)に受け継がれた。  現在、この(狭義の)匈奴は北欧【ハプログループN(Y染色体)のフィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人、バルト3国人、ウラル語族)】や東欧【ハンガリー人、ウラル語族、現在は周囲と混血し、ヨーロッパ人の遺伝子が多い】に住んでいる。ハンガリー人はハプログループR(Y染色体)の比率が高く、ヨーロッパ人化が進んでいるが、フィンランド人はハプログループN(Y染色体)の比率が高く、アジア系(日本の蝦夷と同じ)の特知用が残っている。ハンガリー人はマジャール人とも呼ばれているが、マジャールは(広義の)匈奴=モンゴル(ペルシャ語のムガール)である。フィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人(+I(Y染色体)、エストニア人N(Y染色体)・41%、ラトビア人、リトアニア人)、マジャール人(Y染色体ハプログループR1a が最多、R1b や I がほぼ高~中頻度、NやC2が低頻度)等である。ハプログループ I (Y染色体)が結構多いことから、バルカン半島~スカンジナビア半島でハプログループ I (Y染色体)+ハプログループR(Y染色体)+ハプログループN(Y染色体)がバイキングとして混血した。  3割が色白金髪碧眼高身長であり、シベリアを中心に住んでいるアジア系アルタイ諸語タタール人(Q(Y染色体)、C2(Y染色体)、N(Y染色体))がいる。  色白金髪碧眼でNが少ないが、色白金髪碧眼高身長がハプログループR(Y染色体)に受け継がれたノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)、デンマーク人〈+I(Y染色体)〉等の北欧人がいる。  西シベリアの北極圏においてヨーロッパ人の先祖であるハプログループH(mtDNA) =R1(Y染色体)、U(mtDNA) =I(Y染色体)と、日本人やアメリカ先住民の先祖であるハプログループD(mtDNA)≒D(Y染色体)が一緒に暮らしていた。ハプログループX(mtDNA)≒DE(Y染色体)、R(Y染色体)はヨーロッパ・中近東、東日本(縄文人、アイヌ)、北アメリカ大陸北東に共通して観察される。また、西シベリアの北極圏では、永久凍土のミイラはゼレニーヤール(Z-Y)の埋葬地(66°19'4.54 С; 67°21'13.54Â)にある12〜13世紀の墓で発見され、古代のDNA分析は、ZYミイラのmtDNAハプロタイプが5つの異なるハプログループ、即ちU5a(mtDNA)=I系統(Y染色体)、H3ao(mtDNA)=R1(Y染色体)、D(mtDNA)≒C(Y染色体)、U4b1b1(mtDNA)=I系統(Y染色体)、及びD4j8(mtDNA)≒D系統(Y染色体)に属することを示した。それらは西部と東部のシベリア特異的mtDNAハプログループのそれらの独特の組み合わせでそれらを区別する。  また、匈奴の古人骨の古代DNA分析は複数サンプルで行われている。紀元前2~1世紀の匈奴人の3サンプルの分析では、いずれもハプログループQ (Y染色体)に属していた。北東モンゴルの紀元0年前後の3人(男性2人、女性1人)の人骨の分析では、1人の男性はハプログループC2 (Y染色体)とハプログループD4 (mtDNA)に属し、もう一人の男性はハプログループR1a1 (Y染色体)とハプログループU2e1 (mtDNA)に、女性はハプログループD4 (mtDNA)に属していた。別の匈奴人の分析では、Y染色体がハプログループR1、R1b、O2a、ミトコンドリアDNAはハプログループD4(mtDNA)、N9a(mtDNA)、G(mtDNA)が観察された。これらの結果から、Y染色体DNAは、チュルク系民族などアルタイ系に多いC2 (Y染色体)、スキタイなどイラン系に多いR1a1(Y染色体)、ケット人などエニセイ系のQ(Y染色体)、東アジアに広範囲分布するO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)などが混在しており、ミトコンドリアDNAはモンゴロイド系ハプログループが中心で、一部コーカソイド系が混じっている。  スラブ系には必ずR(Y染色体)、I(Y染色体)、N(Y染色体)があり、ロシア人(R1a(Y染色体)・19.8%~62.7%で平均46.7%、N(Y染色体)・5.4~53.7%で平均21.6%、I(Y染色体)・0-26.8%で平均17.6%、R1b(Y染色体)・0-14%で平均5.8%)、ウクライナ人(R1a(Y染色体)・43.2%、I(Y染色体)・27.2%、R1b(Y染色体)・7.9%、E1b1b(Y染色体)・7.4%、N(Y染色体)・5.4%)、ポーランド人〈+I(Y染色体)〉、ギリシャ人〈+I(Y染色体)〉、チェコ人〈+I(Y染色体)〉、スロバキア人〈+I(Y染色体)〉、クロアチア人〈+I(Y染色体)〉、ベラルーシ人〈+I(Y染色体)〉等である。  また、ゲルマン系は主にハプログループR1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)であり、N(Y染色体)は少なく、イギリス人〈+I(Y染色体)〉、ドイツ人〈+I(Y染色体)〉、オランダ人〈+I(Y染色体)〉等である。彼らはバイキングに侵略された歴史がある。  さらに、N(Y染色体)がほとんどないラテン系は色白金髪碧眼を受け継いだが、その程度が少ないハプログループR1b(Y染色体) (古代アーリア人→ゲルマン系) が主である。E(Y染色体) (地中海沿岸)、J(Y染色体) (中近東)~スペイン等はアラブ系に侵略された歴史がある~、I(Y染色体) (バルカン半島・北欧)、G(Y染色体) (コーカサス地方)が混ざっている。ヨーロッパ以外の中近東、中央アジア、インドには青い瞳の者はいても金髪の者はいない。しかし、日本には色白金髪碧眼の者がいる。  一方、色白ではあるものの金髪碧眼ではないN(Y染色体)が大部分を占める極東連邦管区北東部の端のチュクチ半島に住むチュクチ人(Y染色体ハプログループN-Tat(Y染色体)・58.3%、Q-M3(Y染色体)・33.3%、R(Y染色体)・4.2%、C2-M217(Y染色体)・4.2%) (色白)、極東連邦管区西部のサハ共和国に住むヤクート人(ハプログループN(Y染色体)・94.5%、C2(Y染色体)・2.1%、Q(Y染色体)・0.5%)(色白)、シベリア連邦管区極北部のガナサン人(N(Y染色体)・92%)(色白)、北西連邦管区北東部のネネツ人(N(Y染色体)・97%)(色白)、モンゴル人(C2(Y染色体)・52%~54%、N(Y染色体)・10.6%、O2(Y染色体)・10.6%、Q(Y染色体)・4.5%)、ブリヤ―ト人(C2(Y染色体)・63.9%、N(Y染色体)・20%)、等。彼らは古遼河沿岸のモンゴル・満州・朝鮮に住んでいたハプログループN(Y染色体)は北上(1万2000年前)し、北アジア(極東、西シベリア、ウラル地域)に住んだ。  後に、遼河沿岸の(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)にモンゴル(ハプログループC2(Y染色体)、アルタイ諸語)やインディアン語族のQ (Y染色体)(アメリカ先住民と同族)を合わせて(広義の)匈奴と言うようになった。遼河はモンゴル東部地域から中国東北地方に亘って流れている。漢帝国は(広義の)匈奴の属国だった。  なお、中央アジアのキルギスの例からソグド人(バルハシ湖の南西にあるソグディアナに住んでいた)はハプログループR(Y染色体)、ハプログループO(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)の混血であり、(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体))とは別である。昔はソグド人と(狭義の)匈奴を混同していた。  7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)が温帯だった青森県の三内丸山遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。氷河期が終わり、海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。これにより太平洋沿岸の寒冷化が進み、これに伴い、3500年前、東日本縄文人(東北のハプログループN(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)、関東のハプログループD(Y染色体))が南下し、西日本にも広がった。  新石器時代の中国東北部や東部沿岸の遺跡から縄文土器が出土している。遼河系先住日本人(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)=遼河文明系匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)であり、日本の古墳は匈奴由来である。  匈奴を含むフン族はC2 (Y染色体)、C1a1(Y染色体)、N(Y染色体)、O2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、Q (Y染色体)、R(Y染色体)、I(Y染色体)、D(Y染色体)がいる。なお、西方のフン族には東方のO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)やC1a1(Y染色体)はいない。  日本人におけるハプログループ(mtDNA)は、東アジア・東シベリア→アメリカ大陸のA(mtDNA)、B(mtDNA)、C(mtDNA)、D(mtDNA)、東アジア・東南アジアのE(M9)(mtDNA)、F(mtDNA)、G(M12)(mtDNA)、西アジア→南アジア→志那のM(mtDNA)、N(mtDNA)、西アジア→西シベリア→ヨーロッパ・中東、東日本、アメリカ大陸のX(mtDNA)、志那→北東シベリア沿海州のY(N9)(mtDNA)、遼河・西日本(匈奴=父系ハプログループN)→フィンランド(ウラル系民族)のZ(mtDNA)、西アジア→ヨーロッパのHV(mtDNA)がある。ハプログループZ(mtDNA)はフィン人、サーミ人、ロシア人、ハザーラ人、日本人、朝鮮人、中国北部、カムチャッカの先住民などで観察され、一部は遼河~北東亜平野~西日本発祥のハプログループN(Y染色体)と同じような拡散経路をたどったと考えられ、ウラル語族と関連していると思われている。
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