投稿者:やっぱりセルが好き!
幼少期には神童・Mozartの再来!と呼ばれ、伝記本その他でのエピソードの数々‥
孫弟子様に紹介頂いたギレリスとのリハーサル(練習風景?)もありましたね。
それらによって正しくセルのピアニストとしての実力は神格化?されている訳ですが
そのテクニックは認めつつも‥ 【優れたテクニック】=感動!とならない所が、芸術の難しい(面白い)点でしょうか。
正規録音でセルのピアノを聴く事が出来るのはこの3枚ぐらいでしょうか(全てMozart!)
セルの正規録音に関してはオリジナル初期盤でコンプリート!が私の生涯の目標ですので入手したレコードですが、
残念ながらこの3枚は私にとってそれ程魅力的なレコードではありません。
ピアノ四重奏曲⇒両者上手いのですが室内楽を聴く楽しみが伝わって来ない。
Szigetiとの2曲⇒両者がそれぞれ勝手に弾いている様な感じがして好きになれません。
(そもそもSzigetiの音はプロコフィエフ等は良いですがMozartには向いていない)
Druianとの4曲⇒どの様な過程でこのレコードが発売されたのか以前から疑問。
確かyungさんのホームページの解説?では「セールス的にドルイアンやレコード会社の発案とは考え難い。とすればセルの発案(希望)
これは長年コンマスの要職を務めたドルイアンに対するセルのご褒美ではなかったか」
しかしセルの明瞭なピアノの音に対して、どこかおずおずとぎこちないドルイアンの
ヴァイオリンの音を聴く度に私は
「これはご褒美というよりも久しぶりにピアノを弾きたくなったセルにドルイアンが付き合わされた」が正解ではないかと考えています。
セル:「ドルイアン君 今更説明しなくても解っていると思うけど、この曲は正しくは
ヴァイオリン伴奏付きピアノソナタだから勘違いしない様にねっ!」
ドルイアン:「・・・ わ 解りましたマエストロ」
このレコードを聴く度に2人のこんな会話シーンを想像してしまう私です(笑)
Mozartに限らずBeethovenやChopin等の録音をセルが残していてくれれば、セルのピアノに対する評価も変わったかも知れませんが、
この3枚を聴く限りではセルのピアニストとしての限界を感じてしまいます。
独断と偏見ですが皆様の御意見は如何でしょうか?