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投稿者:青葉
こんばんは。個人の思い出話ですがお許しください。 私の中3の修学旅行は1972年11月5~7日でした。実は私たちは新幹線修学旅行の第1期生なのです。 1つ上の先輩までは「ひので」利用でしたので、すっかりその気でいたので驚きました。 みんなは大喜びでしたが私は嬉しさ半分残念半分といったところでした。 1泊目は奈良の若草山の麓の旅館に泊まり、翌朝早くみんなで若草山を駆け上りました。 まだ完全には明け切らない奈良盆地は無風で、低く朝靄がたなびき神秘的な雰囲気。 そこへ遠くからSLの汽笛一声。やがてかすかにブラスト音が聞こえ、機関車の吐き出す白煙が ゆっくり横へ伸びていき、いつまでもそのまま残っているではありませんか。 水墨画のような光景に何かと騒々しい中学生もしばし無言でその光景を見つめていました。 私はカメラを持たずに登ったことを後悔しましたが、その代わりあの時の光景は今でも瞼に焼き付いています。 ところが、これは帰ってから知ったことですが、その数時間前に北陸トンネルで 急行きたぐに列車火災事故があったのです。 鉄道100年で浮かれ、私は修学旅行でさらに浮かれていたまさにそのタイミングでの悲惨な事故でした。 事故を知って、修学旅行気分がいっぺんに吹き飛んだ気がしたものです。 画像は行きの新幹線から小田原駅で撮影した157系「あまぎ」です。新幹線は行きがこだま、帰りがひかりのスジでした。 長々と失礼しました。
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