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投稿者:管理人
先に中・近世の話題が出てましたが、以前もお知らせした全国の城郭を結ぶラインを再作成してみました。図1はその作成図で、図2は以前作成したものです。 まず、江戸城を起点としたものをみていくと、江戸城⇔名古屋城⇔二条城⇔岡山状⇔広島城への東12度偏角のラインがあることがわかります。 また、江戸城⇔富士山⇔和歌山城⇔剣山北部⇔熊本城への東20度偏角のラインもあります。 そして江戸城⇔前橋城への西50度偏角のラインと、江戸城⇔水戸城への東50度偏角のラインとが線対称となっており、その前橋城⇔水戸城への東西ラインも確認できます。 次に岡崎城に関しては、岡崎城⇔富山城への南北ラインがあり、また岡崎城⇔前橋城⇔明智平への東40度偏角のラインがあり、さらに岡崎城⇔善光寺⇔新潟城西部⇔久保田城への東65度偏角のラインがあります。新潟東部は海となるので、少しずらして内陸へ城を構築したのでしょう。 富山城⇔明智平への東西ラインもありますが、それと直交して、前橋城⇔新潟城への南北ラインも確認できます。 続いて、鹿島神宮関連としては、鹿島神宮⇔前橋城⇔富山城への西20度偏角のラインがあり、同じく鹿島神宮⇔仙台中心部⇔札幌へのラインの他、また図3のように、鹿島神宮⇔水戸城⇔若松城への西70度偏角のラインもあります。 その若松城に関するラインとしては、若松城⇔忍城⇔小田原城への東75度偏角のラインがあり、若松城⇔明智平⇔長楽寺⇔富士山への東75度偏角のラインがあります。 その他、小田原城に関するものとしては、小田原城⇔名古屋城⇔安土城に関する東5度偏角のライン、小田原城⇔駿府城⇔伊勢内宮への東20度偏角のラインもあります。 その駿府城に関しては、駿府城⇔岡崎城⇔伏見城の東西ライン、駿府城⇔富士山⇔忍城への東50度偏角のラインもあります。 それと平行して、安土城⇔名古屋城⇔小田原城へのラインもあります。 その他、明智光秀関連で、本徳寺⇔明智城⇔明智平への東32度偏角のライン、同じく本徳寺⇔大阪城⇔京都御所への東60度偏角のラインなど、明智氏や松平氏、羽柴氏等が関わっていた加茂・鴨氏関連の測量集団の影響がこれらの城郭の位置づけに深くかかわっていたことも以前指摘したとおりです。 今回作成したラインの意義付けとしては、中近世の都市形成にあたり、城郭の位置付けが大きく影響しており、その城下町が発展した形で現在の主要都市がなりたっていること、またその都市間を結ぶ交通網が形成していった点があり、物資・人といったエネルギー面での流れにもこれらのラインが指標として今も関わり続けていることに気づく必用があるのかもしれません。 都市間を結ぶ方位ラインの件は欧州のそれでもなりたつことを以前お知らせしましたが、資金・人・物といった物流を越えたエネルギーの流れを支配することは、そのままその領域支配ともなり、その拠点として鹿島神宮が意識され続けていることも、武神タケミカヅチへの崇敬の念が中近世の武士層にも影響を及ぼしていたことの顕れではなかったかと感じます。
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