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投稿者:KZ
☆四十代くらいまでは 学校の試験の夢が多かった。だいたい問いは解けそうなのに 肝心の記入がうまくいかない、時間はどんどん過ぎてゆく。次第に気持ちが焦ってくると なお指も頭もうまく動かなくなる。やがてパニックがやって来て やれ今年も駄目か(留年か)とがっかりして 身体中に熱い脂汗が浮いてくる。 大丈夫、これは夢で 俺はもう試験に悩む歳ではないのだと言い聞かせながら目醒める、そうなるまでに ずいぶん長い時間がかかった。 ☆サラリーマン生活を20数年で終え自営で暮らすようになって 試験の悪夢はかなり減った。近頃はほとんど見ない。代わりに 勤め人時代の 担当業務がうまく運ばない、到底期限に間に合わない、どうにも説明のしようもないという悪夢が始まった。 個々の小さなトラブルは 実際によくあった。数年にいっぺんくらいは 中程度のトラブル。これには クリアするのが相当に大変だったというのもあった。勤め人を経験した人なら おそらく誰にも経験のあることだろう。 けれども夢となると これが勝手に改変され おおむねは奇妙に集約され、やがてひと塊りになって 抜き差しならない重みの問題に変わっている。もちろん解決に向けて必死に抗うのだが ことは到底自分の能力を越えていて もう無理だ、解決不能、どう弁明したらいいのかと額の汗を拭って落ち込んでいく… 。 どうにもならない窮地の果てに ようやく薄目が開き ガバと布団を剥いで、汗ばんだ胸をホッと撫で下ろすのである。 情けないこと おびただしい。当たって砕けろのヘッドオンタックルで根性を磨いて来たはずが ここでは何の役にも立たないのだと思い知らされて暗然とするばかり。 あなたは組織の仕事には向かない性分だと 十代の終わり頃に一度だけ運勢見で言われた。なにを適当なことをと思いながら、実はそれが胸の奥でずっと引っかかっている。その不適性というものが やはり夢見には現れているのだろうとも思う。 人を捉える組織は重い、そして必要以上に強い。およそ 個々の人間が独力で立ち向かえるほど甘くはないものだ。 ☆個々のトラブルを そのありのままのサイズに腑分けし検分して 問題を明らかにしておくしかないのだろう。然るべきものならそのまま 毅然として立ち向かう。駄目なものは駄目で それは逃げずに責任を取るしかないのだろう。 そんな思いで 燃え残りの団塊となった悪夢を腑分けし ゴムのように固まったものを溶かしてやる。 むろん 悪夢を見ないように体調(とりわけ内臓の植物器官)を整えるのがいちばんに大切だろうが、夢に頻出する過去のトラブルをきちんと分解し、ある部分は個人の責任を越えるものだということをはっきりさせておく、そういう作業も是非ともやるべきことだと私は思っている。 学校も会社も官庁も… よってたかって 要するに〈組織〉というものは 時に過酷で重い。そして 思う以上に 粗雑極まりない本質を持っているものなのだ。  ………  
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