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投稿者:王子
こんにちは~♪ なべちゃんからタスキを受け取り第10走者として王子がつぶやきまーす(^^) ・・・ところで自分で言うのも何ですが「王子」って歳でも、そんな雰囲気も持ち合わせていないし可笑しいですよね?昔から所属されている方はご存じかと思いますが新しい方もいらっしゃるので少しだけその命名の経緯をお話しますと、僕が入会した2007年当時は「ハンカチ王子」や「ハニカミ王子」等が流行っていた頃。いつも(今も?)ヘラヘラしていた僕を見て故荒木順子さん始め女性陣が「ホホエミ王子」とあだ名を付けて下さったのがきっかけです。暫くして「●●王子」ブームが無くなり僕も「王子」だけが残って今に至る訳です。こうやって43歳を目前にして改めて「王子」の自己紹介すると恥ずかしい限りです(苦笑) さて本題。今回、自己紹介的につぶやこうにもこれまで『王子のつぶやき』や年始のご挨拶等で経歴(無駄に長い陸上競技歴33年)はお話してしまっているので陸上話は個別に機会があればお話するとして、今回は部屋を整理して出てきた恥ずかしいモノををご紹介します。僕の『小学校の卒業文集』です。 読み返してみますと今と同様文章力、表現力が乏しく、そして偉そうな事を言っているのが小っ恥ずかしいのですが、良かったらお付合い下さい(笑)※平仮名で書いてあるものはそのまま 『自分の責任  柏市立光ヶ丘小学校6年3組 渡辺 祐矢  ぼくがこの6年間で一番学んだことは「責任」です。1年生の時からみんな、係の仕事や日直の仕事をいっしょうけんめいやってきました。そして3年生からは学級委員、5年生からは委員会の仕事が加わっていそがしくなってきましたが、みんなきちんとやってきました。それも、一人ひとりが責任感を持っていたからだと思います。  ぼくはこのクラスの仕事のほかに、児童会役員という役わりをもらっていました。まず、前期児童会役員の書記としては、児童会だよりや古切手集めを中心として仕事を進めてきました。特に児童会だよりは発行日をきちんと守って発行していました。そして次に後期児童会役員の会長として、副会長や書記と共に集会の計画など、とてもやりがいのある仕事をやりました。  ぼくがこのように仕事をやりながら、学校生活を過ごすことができたのも、責任感があったからだと思います。もし、この世の中の人間、いや人間だけでなく動物が責任感を持っていなかったとしたらいったいどうなるでしょうか。何かを使えばそのまんま。仕事も何もしない。そのようになったらこの世の中はめちゃくちゃです。今、大人でも子供でも責任感を持っていない人がいます。ぼくは、そういう人間になりたくありません。これからぼくは大人になっていきますが、自分の立場にあった行動をし、その時の責任というものを常に考えながら生きていきたいと思います。』 当時、毎月の全校集会で「児童会長の話」という時間があって、これが嫌で嫌で仕方なかったんです(じゃあ会長なんてやるなよ笑)児童数1200人は居ましたからね。その前で話すのはどうも慣れなくて毎回緊張で足が震えていましたよ... 話を文集に戻しますと、ホント偉そーな事を述べていますでしょ(苦笑)ただ、もしドラえもんのタイムマシンに乗って当時の自分に会って想いを伝えられるとしたら下記の事を伝えたいですね。 「祐矢よ、30年後お前が今理想としているような立派な大人にはなっていないかもしれない。しかしながら、ウィング・アスリートクラブの代表として160数名のメンバーをランニングを通じて人生を豊かに、そして幸せになって貰うという責任ある仕事を任されているぞ。これからの人生、『他人の幸せは自分の幸せ』と思える感性を磨きなさい。そして、楽な道、茨の道の人生の岐路に立った時は敢えて茨の道を選び絶えず自己成長を目指しなさい。」と。 そう言えば、ウィングの会長を引受けた時もある意味「茨の道」だったかな(苦笑) 会長としてはいつまで経っても未熟者ですが何とかここまでやって来れております。これも偏に会員の皆さまの多大なるご支援、ご協力によるものに他なりません。この場をお借りして改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございます。 引き続きご指導の程宜しくお願い申し上げます。 第10区間が長かった!第11走者、西田さん、後は頼んだ!
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