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投稿者:快速つくばね
20.2019年4月12日 東京-京都-烏丸御池-京都市役所前…四条-京都-新大阪-久宝寺-弁天町-西九条-ユニバーサルシティ-西九条-弁天町(泊り)  今回の旅行は、大阪で開催される会社のレールフアンクラブの総会がきっかけとなった。  久しぶりの関西旅行であるので、旅行会社の個人ツアーを利用して、総会の日の前後泊をし、2泊3日の行程とした。もう一つは、このツアーに付属して発売される「三都物語周遊乗車券」を利用することで、この切符は、京都・大阪・神戸市内がフリー区間となり、3日間有効で1230円という格安の乗車券である。おおさか東線の全線開業により、今回からはおおさか東線もフリー区間に追加された。  まず、東京を11時ちょうど発の「のぞみ225号」に乗車し、京都に13:15に到着する。最初に関東では食べられない山椒の粉のかかった「玉子丼」を昼食にする。関西の丼について言えることは、(牛)肉丼、木の葉丼、きつね丼、他人丼などどうして品数が多いのか、麺類も同様である。  閑話休題。京都に降りたのは、まず墓参りをすることで市電があったころは、京都駅前から河原町三条まで乗車したが、定時性確保の意味で市バスを利用したくなく、最近は、京都-烏丸御池-京都市役所前という経路で地下鉄を利用して市役所前から歩いている。復路のルートも決まっていて、新京極から錦市場を通り、京野菜と琵琶湖の水産物を横目で見ながら、地下鉄の四条から京都に戻ることにしている。  今回の泊りは、弁天町駅前のホテルを連泊で予約した。今回のレールフアンクラブの総会の前におおさか東線に初乗り(と言っても開業から1カ月ほどたっているが)計画があり、どうしてもその前に乗車しておきたかったので、京都から直行せずに新大阪で下車をした。  おおさか東線の元となった城東貨物線(正式名称は片町線の支線)の旅客化は、高校の通学時から夢を見ていて、たまに放出で見かけた城東貨物線を経由する天理教大祭時の臨時列車に潜り込めないかと真剣に考えたものである。  という訳で漸く57年ぶりの夢がかなえられ新大阪17:58発2494Sの1号車クハ200-77に乗車することとなった。実際乗車してみると今回開業した区間の新大阪-放出間は、所要16分なのであっという間であった。57年間の夢が16分で終わってしまったのである。鴫野か放出で下車をしても良かったが、終点の久宝寺まで乗り通し、久宝寺から「大和路快速」で弁天町に向かうルートをとった。おおさか東線の開業により随分選択の幅が広がった。(おおさか東線の201系もこの春のダイヤ改正で運用を離脱した。このことは増田会長がFacebookに記録されている)  久宝寺は通学していた高校に近く、いま駅南側にある2棟の高層マンションや、スポーツタウンがあるあたりには、貨物列車操車場や竜華信号場、竜華機関区、竜華客貨車区の線路群があった。竜華機関区には、蒸気機関車やディーゼル機関車の各形式をはじめ、阪和線用のED60形やEF58形といった電気機関車が配置されていた。かつては竜華操車場の外側を関西線の上下本線が走っていたことから、久宝寺駅の上下ホームは100m以上も離れて存在していた。同様の形態として武蔵野線の新三郷も開業当初は武蔵野操車場を挟む形で、上下線のホームが360m離れて設置されており、ギネス世界記録に「世界一ホームが離れている駅」として掲載されていた。  高校時代は、鉄道と関係のないクラブに所属しており、汽笛が聞こえるほどの近くにいながらあまり関心を持っていなかった。いま考えても仕方がないが、現在ならば操車場に日参し、通学も近鉄八尾でなく、(国鉄)八尾を利用していたであろう。  久宝寺から18:39発の「大和路快速」469Yに乗車し、弁天町に19:00に到着して、直ぐにホテルにチェックインする。この周辺の食事場所をよく知らないので、食事をするため西九条乗換でユニバーサルシティまで往復した。 *写真1:今回利用した「三都物語周遊乗車券」 *写真2:新大阪駅に停車中のおおさか東線久宝寺行 *写真3:1979年の久宝寺駅(龍華操車場) 画像は1979年当時の国土地理院上空写真。線路群の西側(画像左側)に転車台(ターンテーブル)や扇形車庫がみえ、このあたりが竜華機関区。東側(画像右端中央)のグランドが通学していた高校。
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