投稿者:米田喜彦
公孫氏について
公孫氏についての資料を集めてみました。
(資料01):『古代豪族系図集覧』より、「赤染・常世」(P―129)より
魯傾公‥‥公孫遂(済南郡太守)‥‥(21代略)‥‥比善那──赤染真高──日向──徳足(壬申功臣)
(資料02):『東アジア民族史1』(東洋文庫)より「史記朝鮮伝」
天子は言った。済南〔郡〕(山東省中部)の太守の公孫遂を往かせて糾明させ、適宜に処置させよう。と。
(資料03):(ウィキペディアより)「公孫度」
公孫延──公孫度─┬─公孫康─┬─公孫晃
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└─公孫恭 └─公孫淵──公孫脩
(資料04):『東アジア民族史1』(東洋文庫)より「三国志夫余伝」
〔公孫〕度(?~204)は、夫余が高句麗と鮮卑にはさまれている
〔状況を考えて、同盟をむすぶため扶余王〕一族の女性と結婚した。
(資料05):中平(ちゅうへい)は、後漢の霊帝劉宏の治世に行われた4番目の元号。(184年~189年)
(考察):中平年は、公孫度が〔扶余王〕一族の女性と結婚した時期では、ないだろうか。
(追加06):『公孫氏(遼東)』(ウィキペディアより)
:『新撰姓氏録』は、「常世連」なる大陸から日本へ土着した帰化人の氏族について、
:公孫淵の末裔であると記述している。
(追加07):『三国遺事』の、「魏(衛)滿朝鮮」に、BC109年の処に、「公孫遂」が登場します。
※:『三国遺事』の、BC109年の処に、「公孫遂」の話とともに、船の話も載っているので、
_:追記しました。
PS:画像は、画像の上で、マウスをクリックすると、画像が大きくなるようです。