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投稿者:【下町っ子】服トリ
タイトルの番号で5が重複していました。その為、前回の小名木川線(越中島線)は【陽の目を見た事のない写真展7】が正しかったので今回は8と致します。 荒川は、私の小学校時代は荒川放水路と呼んでいました。豪雨被害から下町の低地帯を護る為、1913年~1930年にかけて岩淵水門から、江東区・江戸川区の区境の中川河口まで開削された人工河川です。隣には中川放水路も並行して開削され、0メートル地帯を護ってています。近年の災害多発を鑑み、東京湾直下地震の津波とか、台風による高潮が堤防の決壊を生じた場合の被害が取りざたされています。 総武快速線建設時の橋梁新設工事の時代の写真です。101系電車とC57牽引の列車のすれ違い、D51牽引の貨物列車、DC急行などご紹介します。 C57牽引の列車とDC急行かわかぜは1968年、D51牽引の貨物は1969年の撮影です。
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