投稿者:tomikoko
宝塚も爽やかな秋空が続いています。
ブラタモリは広すぎた大内裏を発見しましたが、
それでも大内裏は、聚楽第の16倍もありました。政治や儀式を行う場所が一体化し使い勝手が悪く、
白河法皇が「内裏の殿舎は甚だ広博なり」(1112年)と、広すぎて持て余した記録が残っています。
この広さが、天皇が大内裏を去った理由の1つです。天皇は、どこに引っ越したのでしょうか?
天皇は、身内である有力貴族の邸宅を移り歩いた記録が残っています。
約200回引っ越した記録が読み取れます。しかし、その範囲は左京(=京都の東側)のみ。
なぜ天皇は、左京を巡ったのでしょうか?
河岸段丘です。平安時代後期、扇状地を下る鴨川の急流が川底を侵食し、
周囲に河岸段丘ができ、左京は洪水の影響を受けにくくなりました。
京都の皆さんもやはり左京区に集まってきました。