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投稿者:フッジー
 先日、ある用事で山梨県に行きました。時間があったので、新府城に寄りました。ここは、武田信玄の息子である武田勝頼が築城したのですが、建築費がベラボウに高くて家臣達のモチベーションが下がり離反が相次ぎ戦力を失い、最終的には勝頼は大月の方まで数十人の近親者と逃げ落ち自決、武田氏滅亡ということで大体史実と合っていると思いますが、歴史に堪能ではないので間違っていたらすみません。  武田信玄は「人は城」といい、生涯城を作らなかった事で有名ですが、息子がその代々のスタイルを崩した時に滅亡してしまったという事なのでしょうか。自分らしさを押し通した方が良いという教訓にも近い物を感じる事さえできるのでありました。 「新府」というからには、「これから新しい都をここに建設するぞ」という当時の意気込みが聞こえてきそうですが、その割には寂しい位にとても小さく、ちょとした小高い丘みたいな場所です。甲府城跡の周辺は中央線の駅もあり発展してしますが、それと比較すると、車の通りの少ない県道と民家がポツポツとあるだけ、コンビニも近くに無い寂しい場所です。  城を作った経緯は一説では、この近隣の穴山氏が勝頼をそそのかして築城を勧めたと言われているのは有名な話ですが、勝頼は確かに実力不足で悲運な武将でもあったように見えますが、外交的に余りにも懐疑的に物事をとらえるキャラでもあったようです。深読みし過ぎは仇となるということなのでしょうか。歴史からは色々考えさせられます。  新府城のある駅は新府駅という駅ですが、勝頼をそそのかした有力者の穴山氏と同じ名前の「穴山駅」はその近くの隣駅ですが、その真ん前には能見城という小さな城跡があり、双方で縦長のラインで敵から守っていた感じのようです。大河ドラマ「真田丸」の時には観光客が結構多かったということです。
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