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投稿者:KZ
☆https://www.uta-net.com/movie/181996/ 作詞・作曲  谷村新司 ☆元日の能登の地震以降 日本海を思い出すことが増えた気がする。そういう人も多いのではないだろうか。新潟の海、富山、石川の海や山々… 私には、友人のいた富山、砺波平野。ラグビーの大会で足を運んだ能登や金沢。親たちが一時期暮らしたという新潟市や村上の町など(油照りの新潟の夕凪、大きな鮭の昇る三面(みおもて)川…) ☆すぐに思い出すのは 信州の小学校の臨海学校で行った新潟・能生(のう)の海岸。関東地方・湘南やらの海とはだいぶ趣が違っていた。きほん波が強く、浜の砂もきれいだけれど粒が粗い。なにより関東の遠浅の海と比べると段違いの「どん深」で 水の色も濃い。黒砂の水際から10メートルも行かないうちに海は一挙にえぐれて ずんと深くなる。そこから先は 大人でも背が立たない。 海に出かける前の説明会でも こんこんと叩き込まれたこの「どん深」。勝手に進んで、もし深みに嵌ったら もう助けようはないのだぞと。 列車を降り、宿から歩いて初めて目にした親潮の黒い海は、「本当にどんぶかだ、話に間違いない」 そう思わせるに十分の迫力だった。海水温も 盛夏であっても 少し遊んでいるだけで唇が紫色になる程のものだった。 それでも 名札を縫い付けた海パンに水中メガネ、女の子は少し派手めのワンピース水着を着たりして、僕らは広々とした日本海の海水浴をさんざん楽しんだ。 この時の 少し大判のスナップ写真が一枚残っていて、これを見るとあの夏の楽しさが蘇ってくる。 クラスの友達が男女合わせて十数名、そこに引率の先生が二人。一人は平服の女先生、あと一人が 色白で背の高い教頭先生だった。 もう定年に近い年齢だったかもしれない。とにかく全校の教員中 いちばん歳の行った部類のおじさん先生だった。でも 一目見ると印象はとても鮮やか、むしろ鮮やかすぎる。色白の大きな身体に 先生は白い木綿の越中フンドシひとつしか付けていないのだった。 昭和三十年代も半ばくらいの話である。世の中には 未だふんどし着用の人もそれなりにはいたが(銭湯などでたまに見かけた)、大きな海水浴場での越中ふんどしは さすがに教頭先生ひとりしかいなかったと思う。それは我々にも少しく奇異だったのだから 若手の女先生などは目のやり場に困ったのではなかろうか。 その生地はどんなものだったか、年長の教頭先生のお尻はどれほど萎びていたか、いなかったのか…。 眩しい陽光の中、沖に向けて長く伸びる防波堤を背景に、一団となって写るみんなの笑顔が日本海の泡のように弾けていた。 ………
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