投稿者:wajin128
漢文には【 時間や空間的な位置 】を表現する際【 存現文 】を使用します。
【 又渡一海 千餘里至末盧國 】
また末盧國まで一海を渡り千餘里。
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この文章には、どこから末盧國にやって来たのか記載されていません。
しかし【 存現文 】のルールにしたがえば、出発地は【 一大國 】になります。
ではなぜ出発地を【 一大國 】と言えるのか、その理由を説明できますか ?
たぶん多くの人は、前節に【 至一大國 】と有るからと答えるでしょう。
では【 至末盧國 】と【 一大國の出発地 】とどういう関係があるのでしょう。
漢文は【 孤立語 】です、したがって日本語のように前後の文章のつながりはまったく有りません。
もし【 存現文 】のルールが無いとすれば、一々どこから来たのかを記載しなければならないことになります。
【 自郡至女王國萬二千餘里 】
この文章が良い例です。
この文章の【 自 】は出発地を【 郡 】に置き換えるためのものです。
つまり【 存現文 】によって【 郡⇒邪馬壹國の都 】まで続いてきた移動文を、これによって断ち切っています。
【 存現文 】のルールを知らない人物は【 水行十日 陸行一月 】の出発地を【 郡 】にしたり、伊都國から先は【 放射移動 】などと勝手な訳を行っています。
【 東南陸行五百里 到伊都國 】
東南へ陸行五百里で伊都國に到る。
この文章の前に、幾つかの文章が挟まっています。
【 有四千餘戸 】
【 濱山海居 草木茂盛行不見前人 】
【 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈沒取之 】
私たちは【 末盧國 】についての文章と理解しますが、中国語は【 孤立語 】ですから、上の文章もすべて断ち切られてしまいます。
使者が【 存現文 】のルールによって【 末盧國 】にとどまったとしなければ、どの國についての記述かわからなくなってしまいます。
そこで【 存現文 】のルールが必要になるのです。
もし【 存現文 】のルールが無ければ、出発地を表す【 自 】を加えて【 自末盧國東南陸行五百里 到伊都國 】などと記載しなければなりません。
つまり存現文の【 至末盧國 】によって、使者はこの地にとどまっていることになります。
中国語が【 孤立語 】であること、そのために【 存現文 】のルールが必要になることを、理解していただけたでしょうか。
少し変わった【 存現文 】の断ち切り方も紹介しましょう。
【 女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種 又有侏儒國在其南 人長三四尺 】
女王國の東、海を渡って千餘里のところに、復國が有る。
【 去女王四千餘里 】
女王のところからは四千餘里。
【 又有裸國 黒齒國復在其東南 船行一年可至 】
また裸國 黒齒國という國が有る。
女王國からは東南に船で向かって一年はかかる。
出発地を【 女王國 】と明示した上で【 復國有り 】と記載されています。
次の【 侏儒國 】は【 その南に在る 】となっていて【 女王國⇒倭種國⇒侏儒國 】と連続した文章になっています。
【 存現文 】のルールにしたがえば、今【 侏儒國 】の位置にいます。
ここで【 復在其東南 】の【 復 】の文字は【 存現文 】を断ち切る働きを行っています。
たとえば【 往復 】の【 復 】は出発地に戻るという意味ですが、同じく【 復在其東南 】の【 復 】も【 女王國に戻る 】という意味になります。
したがって【 復在其東南 】とは【 女王國に戻って、其の東南に在る 】と訳します。
などとえらそうに述べてきましたが、多くは放送大学の【 宮本准教授 】からの受け売りです。
あしからず ・・・